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Chapter 6

ガヤ ワイン

ネッビオーロは、ガヤ ファミリーの惜しみない尽力によって見事に開花し、世界でその名を誇るバルバレスコとバローロに昇華されました。

このチャプターの著者

ジェフリー・S・キングストン

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ジェフリー・S・キングストン
ガヤ ワイン
ガヤ ワイン
Issue 19 Chapter 6

過去50年の根本的な変化を経たランゲのワインは 、世界の一流ワインの最高峰に到達しました。

アイコンワインとなったバルバレスコとバローロを語る際に、「レボリューション」ということばをよく耳にします。このふたつのワインは、イタリアのピエモンテ州に位置するランゲ地方が生み出した逸品であり、世界でもっとも雄弁にネッビオーロ種を表現した誇り高いワインです。メゾンのレボリューションは、「ザ バローロ ボーイズ」と題されたドキュメンタリーフィルムによって有名になりました。フィルムは、ランゲを不遜なモダニストと、頑なな伝統主義者の衝突が見られた地として捉え、両者の間に繰り広げられた激しい対立を描き出します。そのストーリーによれば、モダニスト派は、「伝統主義者のつくる過度にタンニンの強いワインは、実際に味わえるようなるまでに数十年の時を必要とする」と非難しています。一方の伝統主義者は、「ワインの熟成を待てない」モダニストたちがフランス製の樽を使用したことを一種の裏切りだとして応戦します!

この手の対立によくあるように、真実はランゲから遠く離れた地にありました。頭に浮かぶのは、イラウーゼルヌでマルク・エーベルランが営むオーベルジュです(50年以上にわたって、ミシュランガイドで最高評価の三ツ星を獲得し続けたオーベルジュ・ド・リル)。そのキッチンに置かれた木製の戸棚には、ポール・ボキューズの金言「クラシックかモダンか…、すぐれた料理とは、質のいい料理である」が掛けられています。要するに、伝統的か現代的かではなく、そのものの質にある、とボキューズの言葉は伝えています。ガヤは、当地で繰り広げられる争いを横目に、シェフの言葉をマントラのように唱え、メゾンの花形ワインであるバルバレスコとバローロの製造に尽力したのです。メゾンにとっては、卓越のワインをつくることがすべてでした。

モダン対伝統の論争がどうであれ、過去50年に行われた抜本的な変革によって、バルバレスコとバローロが世界の偉大なるワインの頂点に立ったことに疑いの余地はありません。歴史の一端をひも解くと、いかに変化が根本的であったかが実感できます。イタリアではじめてブドウ栽培とエコロジーをテーマとする新聞を創刊したオッタヴィオ・オッタヴィの視点から過去を振り返ってみましょう。彼は単刀直入に、「現在、すぐれたワインは極めて稀で、多くは劣悪、さらにはビネガーとしかいえないものも多々ある。教皇庁に供するに相応しいボトルもあれば、パプリカ料理にしか使い道がないものもある」と書き残しています。過去にあったこのような嘆きは、ワイン輸出が十分に発達していなかった事実と

ガヤ ワイン

1960年から1970年にかけての獲得当時には全く無名であったメゾンのソリ・サン・ロレンツォ、ソリ・ティルディン、コスタ・ルッシは、それぞれに変貌を遂げ、いまやアイコンネームになっています。

深い関連があるでしょう。外国市場での人気を謳うフランスとは異なり、イギリスワイン市場と後に進出するアメリカ市場にとって、イタリアワイン、なかでもランゲのワインは無にも等しい存在でした。その結果当地では、1960年代初頭に至るまで、ワインは二次的な産物だとみなされてきました。今日のバルバレスコとバローロの清らかなブドウ園を目にすると、かつてこのブドウ苗木の間に別の作物が栽培されていたとは信じ難いでしょう。実際に、この地ではブドウよりも小麦の方が多く収穫されていました。リスク回避の道を選択したブドウ園オーナーの多くは、家畜、果物、ヘーゼルナッツ(ランゲの特産物)に転換しました。イタリアワインを熱心に求める外国市場を持たないことから、ワインの大部分が地元で消費され、二束三文で取り引きされていました。

一方のガヤは、現在メゾンを率いるアンジェロ・ガヤが1961年にアルバのブドウ栽培とエコロジーの専門学校を修了したことを機に、魅力に乏しいと思われた事業に挑みます。当時、ファミリーのバルバレスコにおけるワインビジネスは、アンジェロの父ジョヴァンニによって管理されていました。ジョヴァンニは、当地における大方の事業者よりもやり繰りに長けていました。測量技師として収入を得ていたため、ブドウ園のみに依存していた人々が取ったような妥協策の検討は必要ありませんでした。ワインの出来が自身の基準を満たさなかった場合には、バルクワインとして売りさばいて損失分をカバーしました。これは、ランゲの大半のワイン業者にとっては収益性のない代替手段でした。しかしながら、ジョヴァンニのクオリティ向上への献身は、最終的に実を結ぶことになります。1950年代にバルバレスコが1リットルあたり300~600リラ程度で取り引されていた際に、ジョヴァンニのワインは、これを顕著に上回る1200リラで取り引きされました。

地元以外に市場を持たず、ワイン価格の低下を被った多くの同業者は、状況を悲観して貴重な区画を売りに出しました。対するジョヴァンニは、バルバレスコの主要な区画を獲得することによって好機をつかみます。1967年にソリ・サン・ロレンツォ、1970年にソリ・ティルディン、1978年にはコスタ・ルッシの区画を購入しました。今日、この三銘柄はいずれも名高いワインとなっていますが、獲得当時には、世界のワイン愛好家からは見向きもされない論外のワインでした。アンジェロは、自らソリ・サン・ロレンツォと名付けることになる区画が、「荒廃した状態にあり、オーナーはその維持にかかるコストに不平をもらし、小作者は収支を合わせるための一大転換を迫られる」ありさまだったと語ります。

もちろん、のちに一躍有名になるネーミングもまだ持ち合わせていませんでした。イタリアにおけるブドウ園の命名法はフランスのそれと異なります。ボルドーとブルゴーニュでは、ワインをアペラシオン名

左ページ若きジョヴァンニ・ガヤ、父親のアンジェロとともに、1913年。

左ページ若きジョヴァンニ・ガヤ、父親のアンジェロとともに、1913年。

1973年収穫のソリ・サン・ロレンツォの醸造桶。

1973年収穫のソリ・サン・ロレンツォの醸造桶。

アンジェロ・ガヤがイニシアティブをとった数々のイノベーションによって、収穫量が限定され、クオリティが保証されました。

のみで、追加情報を付記せずに呼ぶ方法が浸透しています。したがって、シャンベルタン・クロ・ド・ベーズや、シャサーニュ・モンラッシェ・レ・ルショットは、単にアペラシオンのみを表記したネーミングです。フランス語の「クリュ」は、幾世紀にもわたって厳密に区切られてきた区画を指し、クリュ名の使用は規定され、厳しい管理下に置かれています。ただし、稀に例外があり、クリュ名にネームを追加することもあります。例えば、ベルナール・グロのクロ・ド・ヴージョ・“ミュジニー”には、“ミュジニー”というクロ・ド・ヴージョ内の単一畑名が追加されています。同様に、エティエンヌ・ド・モンテイユのヴォーヌ・ロマネ・レ・マルコンソール・“クリスティアーヌ”にも、プルミエクリュ・レ・マルコンソール内の小エリアの名が付け加えられています。しかしながら、これらはあくまでも例外であり、フランスワインは慣習的にクリュ名のみで呼ばれます。

1970年に後を継いだアンジェロは、賢明だった父がテロワールとしての価値を見出し入手していた三つの単一畑を足掛かりとしました。これらの区画の比類のない土壌、傾斜地の位置や日照、タナロ川からの影響を考慮したうえで、一般的な製法であった複数栽培地のブレンドをやめ、各区画を個別に取り扱うべきだと結論付けます。この考えから、アンジェロはそれぞれのテロワールを特定するためのネームを与えます。今日、この内の二区画はバルバレスコ村に隣接するセコンディーネのブドウ園として知られています。ソリ・サン・ロレンツォの名で知られるようになったセコンディーネの単一畑は、アルバ大聖堂の守護聖人サン・ロレンツォにちなみ、「ソリ」は地方のことばで南向きの丘陵を意味します。もう一方のセコンディーネの単一畑ソリ・ティルディンは、アンジェロの祖母であるクロチルド・レイの名にちなんだネーミングです。父ジョヴァンニが獲得した第三の区画は、ロンカリエッテにあり、コスタ・ルッシという名は、前オーナーにちなんでいます。

これら三区画のブドウを使ったワインが別々に醸造され、ボトル詰めされることによって、各々の特色が表現されます。コスタ・ルッシは三つのなかでもっとも優しい味わいで、ワインが若いうちから堪能することができます。ソリ・ティルディンは引き締まったタンニンを有し、一般的に酸味が高くなっています。ソリ・サン・ロレンツォはもっともスパイシーで、力強く凝縮された味わいを有するために、長期の熟成期間を必要とします。

アンジェロがこのようなワインのラベリングを行った当時、バルバレスコとバローロは、単に地方名のみで呼ばれていました。すなわち、バルバレスコDOCG、バローロDOCGという名で市場に出回り、セコンディーネやロンカリエッテといった、バルバレスコDOCG内の栽培地はまだ認識されていませんでした。比較的最近になって行われたセコンディーネやロンカリエッテといった特定栽培地の規定は、「バローロ・バルバレスコ・アルバ・ランゲ・ロエロ保護協同組合」の20年来のプロジェクトでもあります。

ガヤ ワイン

歴史的見地に立つと、アンジェロが自身の三区画に行った果敢な決断には、大いなる先見の明があったといえます。アンジェロは、複数栽培地のブレンドを醸造する製法が慣習的であった地において、それぞれの区画のブドウを別々に醸造してボトル詰めし、同様に、バルバレスコが特定の栽培地名無表記で販売されていた時代に、単一畑名の追加を導入しました。

ワインに特定の単一畑名を与えることはフランス流ではないにせよ、アンジェロは、学業修了後に父親の事業を引き継ぐ前にフランスで一時を過ごし、その影響を持ち帰っています。アンジェロの神経は、ガヤのワインを世界の一流ランクに称揚するという一点に注がれていました。各国で華々しい成功を収めたワインメゾンと同様に、アンジェロのクオリティ追求は、あらゆる側面へと向けられます。そのイノベーションの多くは、ブドウ園の収穫量制限に関するものでした。理論上、収穫高を落とせば果実の濃縮度が増し、ワインのクオリティが向上します。彼のメソッドのひとつとして、作付けの密度を高める手法が挙げられます(ブドウ苗を互いに競合させるように)。また作付け列の向きは、斜面を横切るのではなく、傾斜に沿う配置に変更されました。三つめの技法である大胆な芽かきは、ランゲの人々を驚かせ、波紋を引き起こしました。多くの同業者が、芽かきで20あるいはそれ以上の芽を残すのに対して、アンジェロは各ブドウの木に12だけ残します(後に、8つまでに限定)。1エーカーにつき芽をひとつ除去すると、収穫量が1600房分減少する計算になります。アンジェロは、芽を多く摘み取って収穫高を減少させる方針を選んだのでした。村では彼の精神状態を疑ううわさが流れ、企業として従業員に給料が支払えなくなるだろう、などとささやかれました。アンジェロによる量制限はそこに留まらず、グリーンハーベスト、つまり全ての房が熟すのを待たずに青摘みを行います。残った房に木から注がれる養分を集中させたのです。

ガヤ ワイン
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ガヤは、「ランゲで卓越したワインをつくるための方法は、ひとつには限られない」 という信念を抱いています。

この他にもクオリティを重視した方策が実施されていきます。ガヤは、近年の温暖化に対応するキャノピーマネージメントの一環で、ブドウの葉の除去を進めています。葉を少なくしてブドウの成長リズムを遅らせ、高気温のもとで上がってしまう糖度を低下させます。過剰な糖度は、アルコール度の高い不均衡なワインにつながります。蜂もまた精査の対象となりました。蜂のコロニー化を促進させ、殺虫剤を使用しないナチュラルな害虫対処が施されており、同時に、蜂がもたらす酵母の恩恵もねらいとしています。

セラーにおいても、追加工程が導入されました。温度管理下での醸造が醸す時間を短縮したほか、フランス製オーク樽の使用もしています。地元のワイン造りにおいては、熟成時に大樽(多くは2000リットル、時には15000リットルのもの)が複数年にわたって繰り返し使用され、コルクもより長いものが用いられるのに対し、フランス製の樽は、新旧を組み合わせた225リットルサイズ(ボルドーとブルゴーニュにおける標準サイズ)となっています。

アンジェロの導入した変革で特筆すべき点は、父親がすでに大成功を収めていたにもかかわらず、そこに留まらずさらに推進したことです。自身の強い確信を反映したアンジェロの決断には、古くからの格言「こわれない限り、直すべきではない」は当てはまらないようです。もっとも、彼がイニシアティブをとった転換のすべてにファミリーが好意を示したわけではありませんでした。バルバレスコにある一家のブドウ園のひとつが、ネッビオーロからカベルネに転換された際には(あらゆるバルバレスコDOCGは100%ネッビオーロ種とされる)、ネッビオーロ以外のブドウ品種を導入したという事実だけではなく、これがフランス種であったことで二重の反論を受けました。父ジョヴァンニは、このワインを口にしなかっただけではなく、転換区画を「ダルマージ」と名付けました。「ダルマージ」は、「何と残念な」という意味を持ちます。

ところで、モダニストと伝統主義者の論争に加わりたがる人たちは、ガヤのメソッドをどちらのサイドに分類したのでしょうか。どちらでもないというのが事実です。ワイン造りの多くのプロセスにおいて父親と異なる方法を選んだというだけで、モダニストのレッテルを貼られるのは不当だといえるでしょう。ファミリーが目にしたように、これらの変革は、「ランゲで卓越したワインをつくるための方法は、ひとつには限られない」という信念の反映でした。たとえば、当初は議論を呼んだ「ダルマージ」なカベルネをはじめとするブドウ品種の導入は、ガイア・エ・レイを実現するための決断でした(アンジェロの娘ガイア、祖母のクロチルド・レイにちなんだネーミング)。強硬論者は、バルバレスコワインはネッビオーロのみで製造されるべきだと主張します。たしかにネッビオーロは、バルバレスコとバローロに根付いたブドウ品種ですが、だからといって他の品種を完全に排除する必要性があるでしょうか。現に、遠い昔には複数の品種が栽培されていました。

アンジェロ・ガヤは、責任者のポストを 3人の子供であるガイア、ロッサーナ、ジョヴァンニに譲りました。

フランス製オーク樽使用も、アンジェロがモダニストであることの証明にはなりません。少数のワイン業者が、反逆的に自らをモダニストだと称してフランス製オーク樽を使用したのは、オーク樽の特長のためというよりは、奇をてらうこと自体が目的だったのではないでしょうか。その結果として、ワインはしばしば強いオーク香に支配される結果になりました。ガヤにおけるフランス製オーク樽の導入は、ワイン造りに不可欠な一要素として実現されたものです。一般的にバルバレスコとバローロは、フランス製オーク樽で一年間寝かされた後に、大樽で一年間寝かされます。とはいうものの、これも絶対的なルールではありません。この期間は収穫ブドウの特色に応じて調整され、場合によってはフランス製オーク樽がまったく用いられないケースもあります。ビンテージごとに、発酵後のワインをテイスティングし、その結果に応じてフランス製の小樽に寝かせる期間を計算し、新樽と年代物の樽の比率も決定します。

ガヤ ファミリーは今日、バルバレスコとバローロに、250エーカーを超えるブドウ園を所有しています。主力商品となるバルバレスコの3つの単一畑ワインに加え、バローロにおいても、スペルスそしてコンテイザとネーミングされた単一畑のボトルを手掛けるようになりました。もちろん、メゾンはバルバレスコとバローロの双方において、複数の畑をブレンドしたボトルも製造しています。例えばメゾンのバルバレスコDOCGは、バルバレスコの村々と、トレイゾ近郊にある14の畑をブレンドしています。ただしブレンドタイプのボトルにおいても、ブドウは別々に収穫されて醸造されたのちに、ボトル詰めの工程でブレンドされます。この手法によって、メゾンは最終ブレンドにおける各畑の比率を決定することができます。ランゲにおける成功によって、ガヤはトスカーナ州のモンタルチーノでもワイン造りを開始しました。これが、ピエヴェ・サンタ・レスティトゥータとカ・マルカンダです。

アンジェロは現役でありながら、責任者のポストを3人の子供であるガイア、ロッサーナ、ジョヴァンニに譲りました。ファミリーは、3人の間に特定の責任を割り振る組織構造図はないと発表しています。その代わり、アンジェロの妻のルチアも含めたファミリーのあらゆるメンバーが、何らかのかたちでメゾンの活動に貢献し、ワイン製造に関する決定や、テイスティング、あるいはイタリア国内外からのゲストレセプションに参加しています。ワインでファミリーの名をたたえるメゾンにとってまさに理想的なありかただといえるでしょう。

ガヤ ワイン
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テイスティングノート

このテイスティングノートは、過去30年間に蓄積された記録と経験に基づく「ル・ブラッシュ便り」のワインエキスパート、ジョージ・ダーバリアン博士によるものです。

バルバレスコ 2015
暑さが支配した夏は、8月の嵐とともに去り、その後の気温低下を受けてブドウの実の長期熟成が促されました。スミレとローズの香味に混ざるコーヒーの気配。繊細でやさしい口当たり、おおらかに広がるレッドチェリーをはじめとするレッドフルーツ。わずかに感じる甘草の風味。やさしく持続力のある余韻。

スペルス(バローロ) 2014
多量の降水を伴う冷夏により、収穫は11月中旬に行われました。ピンクペッパーが感じられるスパイシーな香味。溌溂とした力強い味わい、クランベリー、レザー、甘草の風味、酸味とのバランスに優れた深みのある構成が特徴です。骨太の余韻が残ります。

ガイア・エ・レイ(シャルドネ) 2006
トレイゾ(バルバレスコ近郊)とセッラルンガ・ダルバ(バルバロ区域)産の二種をブレンドしています。ガイア・エ・レイはフランス製オーク樽を用い、マロラクティック発酵を行った初のシャルドネワインです。スイカズラの香味に調和するフラワーとローストナッツ。重みのあるまろやかな口当たりに、ヘーゼルナッツの風味。持続力に優れた余韻。

ソリ・ティルディン(バルバレスコ) 2014
プラム ラズベリーの香味。まろやかで角のない、深い味わい。レッドフルーツの余韻が持続します。

スペルス 1999
フルボディワイン。口に含むと、シナモンとブラックカラントの香味から、プラムと大地、甘草の香味が広がります。印象的な深みをもつ、バランスに優れた力強い味わい。驚くほど美しい余韻。

Chapter 07

バチスカーフ に揃った三拍子

ブランパンのダイバーズウォッチの伝統を逸脱することなく、実用的な複雑機構を搭載した3つの新しいバチスカーフ。

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ジェフリー・S・キングストン
バチスカーフ に揃った三拍子
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