Chapter 11
伝説、儀式、季節のお祝いを 織り交ぜ、お皿の上に表現した ミシュラン三つ星の体験。
木格子の玄関は大阪の繁華街から車で20分の場所に あるごく普通の住宅街にあります。他のレストランはどこ にも見当たりません。それどころか、周囲には一切の商 業施設が存在しません。住宅の壁の前方に広がる細い 道の向こうには幹線道路の騒音対策の防音壁がありま す。飾らない門構えは大阪で最高、そして日本全国でも 最も有名なレストランの1つであるレストランへの入り口 です。
伝説、儀式、季節の祝福、そして料理人によって食材だけ でなく、お皿のデザインを含めた手段を通じて語られる物 語を紡ぎ合わせた数時間に及ぶ旅を約束してくれる懐石 料理は和食の頂点に君臨しています。5月に料理人松尾 英明が主人を務め、ミシュラン三つ星を獲得した柏屋を 訪れた際には、氷の祝福に関する日本の伝説、鮎の解禁、 子育てから生まれた家族の伝統、アールデコ展示会から 得られたインスピレーション、アンディ・ウォーホルのポッ プアートを楽しむ冒険の旅に出ることができました。これら のテーマすべてが料理を通じて表現されました。
松尾は若い時から料理人を目指していたわけではありま せんでした。彼は大学時代には原子物理学を専攻してい ました。転機はまさかの茶の湯でした。この変革の裏にあ ったのはある種の神秘でした。茶の湯を経験した松尾は、 物理学における自身の役割は、自分の創作に関係なく自 然界に存在する事項を観察して説明することであると気 づきました。一方で茶の湯は創意工夫の余地がある、とい う点で物理学の研究の範囲を超えるものでした。すべて の動作やしぐさで独自の現実を作り出すことができまし た。また、もう1つ違いがありました。茶の湯の大成者であ る千利休によると、茶の湯を究めることで、メッセージを生 み出し、その意味を客に伝えるために言葉は必要なくなり ます。松尾も食材を通じて同じことができました。完璧に調 理された食材は言葉がなくとも意思を伝達することができ ます。さらに神秘的だったのは多くの動作の力を具体的に 気付かれることなく経験できる、という実感です。彼は箸を 例に挙げました。彼は客が右利きか左利きかを観察しま す。客が左利きの場合、右利きの場合とは皿の盛り方を変 えます。客が盛り付けの変化に気づくことはありません。こ の気配りについて説明することなく食事体験がスムーズに 流れます。
滋賀の有名レストランでの3年間の修行を経た後に大阪 に戻りました。彼の父は既に現在の柏屋の建物を所有し ていました。市の中心部に店を開くことも考えましたが、松 尾は建物を変身させ、独自の体験を生み出すのであれば、 市の中心部から30分離れた場所でも問題はないと考えま した。日本の偉大な伝統に従い、各部屋が独自の雰囲気 を持っています。2階はアールデコデザインからインスピレ ーションを受けています。畳の上に置かれた低いテーブル は高級な木を用いた光沢ある黒漆仕上げとなっています。 窓は砂利が敷き詰められた庭園に向かって開きます。
ブランパンと同じように、松尾も環境に配慮した芸術を意 識しています。海から食材を調達する際、多くは「天然素 材」を謳います。しかし、これは常に理にかなったことでしょ うか?多くの種の乱獲によって長期的な生存が脅かされ る中で、松尾はクリエイティブな養殖による解決策を模索 しています。短い歴史はなぜ日本において多くの養殖水産 物の評判が貶められているかを教えてくれます。戦後、安 価な養殖魚の生産が重視されました。コストが理由でし た。松尾は品質を重視する異なるビジョンを持った生産 者を求めました。もちろん、その場合、値段は高くなります。 彼は鯛を例に挙げました。高品質の鯛の養殖には 3年を 要します。低価格を求める生産者達は 2年以下で養殖を 行い、当然のことながら品質の低下を招きました。妥協を 許さない松尾のような料理人に支えられ、日本では高価 格で高品質の水産製品の養殖を行う養魚場が出現して います。このような養殖魚は魚の少ない水槽の中で良質な 餌を与えられ、過剰に抗生物質が投入されない状態でよ り長期間育てられます。このような動向や危機にさらされ る天然魚保全の必要性に対する意識から、松尾は、食事 客は養殖魚を受け入れるだけでなく、実際にこれを支持し てくれる、と考えています。我々は既に牧場で飼育された 牛、羊、鶏肉を受け入れている、と松尾は指摘します。その 持続可能な実践に対するコミットメントにより、松尾は倫 理的な環境基準を守り、持続可能な基準を守るサプライ ヤーを使用するレストランに対して毎年与えられる、ミシュ ラングリーンスターを獲得しています。
松尾は懐石料理を専門としています。しかし、大阪懐石は 京都懐石とは異なります。京都の伝統は、日本の皇都であ った歴史から生まれた貴族的な伝統です。対照的に大阪 の文化は商業的です。大阪ではより力強く第一印象が鮮 烈なスタイルが好まれます。日本の出汁に欠かせない素材 である昆布に、大阪と京都の違いが如実に表れています。 大阪の出汁ではより力強く濃い色の出汁が出る真昆布が 使われます。京都ではより淡い色の出汁が好まれます。
5月下旬の食事では、このストーリーが鮮やかに語られる ことから始まりました。6月は全国の神社で氷祭りが開催 される季節です。現代の冷蔵技術の登場前は冬の氷を山 の洞窟で貯蔵していました。その後、夏の訪れと共に、夏 の暑さをしのぐために氷の塊を貴族の館に運びました。松 尾はこの伝統を思い出し、6月の氷の塊を思い起こさせる 冷たいジュレの中に蓮の葉で包んだ氷室豆腐を包み込ん でいます。その上に雲のようなウニが国産キャビアと共に 添えられています。刻んだ山芋が心地よい食感を生み出し ています。周りのジュレに浮かぶ、塊から溶け出した氷を 象徴するジュンサイが野菜の香りを生み出しています。松 の司 生酛純米酒がこの劇的な表現を引き立ててくれます。
これに続く鱧(はも)には驚きました。鱧は味も食感もあまり 目立たないことが多いですが、松尾はオイルを使って鱧を 調理し、通常の鱧料理では見られない質感や味を引き出 すことで鱧の魅力を最大限に引き出しています。2つに盛ら れた鱧の上には高所の岩に張り付くように映えるイワタケ と、パプリカのような風味を与える緑色の万願寺とうがらし が添えられています。焼き上げられた松の実が食感を与え てくれます。これはあらゆる点からみて素晴らしい料理でし た。鱧と組み合わせられたのがエドシックシャンパンです。
続いてお吸い物が提供されました。お吸い物は最初の料 理の氷のテーマを少し異なる形で踏襲していました。昔は ハンマーを使って氷を砕いていたため、形がいびつでし た。この料理で表現される氷は形が均一な三角であり、小 豆が地面の飛び石のようでした。その脇にあるのがオコゼ ときゅうりです。大阪風の出汁の豊かさの調和をとるため に、梅干しが提供されます。これにあわせてドメーヌ・フォ ンテーヌ・ガニャール・ドラグランジュのパストゥグランも供 されました。
懐石料理では皿のデザインも重要です。各料理が懐石料 理のテーマにあった形状とイメージを表現します。お吸い 物の後に続く刺身では皿の上端に海藻を想起させるフィ リグリーが施されていました。カレイ、アジ、えび、しそで構 成される刺身は肖像画のような盛り付けとなっていまし た。松尾は従来のポン酢でなく、鰹節をベースにした土佐 醤油と梅醤油と共に提供しています。酒は大吟醸です。
柏屋の代表的な料理を1つ挙げるよう促された松尾はた めらうことなくスフレを挙げました。スフレは松尾の好きな 料理です。娘のためにバターと小麦粉を使ったスフレを作 っていた時に、日本料理として自身のレストランで提供す るためにバターと小麦粉を使わないスフレを思いつき、こ れをさらに洗練させて進化させました。この日のスフレはレ ッドビートをベースに、松の実のペースト、カツオ、海貝でア クセントを付けていました。酒樽状の木製の格子細工に 入ったラメキンに盛り付けられていました。スプーンを口に 運ぶたびに異なる風味が感じられ、甘み、心地よい味わ い、それに続いてうまみが感じられました。様々な味が集 中していることに驚かされました。良質なワインは飲み込ん だ後に口の中に風味が長く残ります。松尾のスフレにはま さにこの表現があてはまります。
3つの小さなグラスに盛り付けられた次の料理でも氷や季 節のテーマが表現されていました。このコースから分かる ように松尾はすべての料理で小さな驚きを演出することを 目指しています。1つ目の料理がアワビ、きゅうり、トウガラ シという陰陽の組み合わせです。噛むたびにきゅうりの爽 やかさやトウガラシの辛みといった異なる風味が感じられ ました。次の料理はアナゴを食材として用いていました。天 然のウナギが危機にさらされていることを認識する松尾は 現在では持続可能なアナゴのみを提供しています。ここで は、アワビ料理の甘さ/辛さとは対照的に、アナゴ、ホワイト セロリ、ミョウガでうまみ/甘さが表現されました。3番目の 野菜ベースのグラスではサツマイモ、ホオズキ、ソラマメ、大 根おろし(甘味/酸味)が供されました。雪のような大根お ろしが氷のテーマを強調しています。
日本では晩春から夏にかけて鮎が解禁されます。鮎は大 阪からそれほど離れていない琵琶湖でとれた小型の淡水 魚です。松尾は鮎を備長炭で焼きます。鮎は頭からしっぽ まで食べられますが、頭の部分に少し苦みがあります。蓼 酢(たです)と鮎により興味深い化学反応が生まれます。 蓼は「苦い葉」と呼ばれることもあり、ことわざにも使用さ れています。酢にオレンジの皮のような辛みと緑の色味を もたらしてくれます。蓼酢は単独だと少し苦いのですが、鮎 を蓼酢につけると鮎本来の苦みが消え、予想もしなかっ た甘味が生まれます。
野菜料理は和傘をモチーフにしたお椀に盛り付けられて いました。季節の組み合わせではナス、里芋、海藻で着色 された小麦グルテン(青のり麩)、湯葉が用いられていまし た。3つの料理を細い糸状のショウガで覆っていました。 従来の懐石料理の最後には大きな釜めしが供され、食事 客はこれを好きな量だけ取り分けます。松尾は米を白トウ モロコシで調理することで一工夫を加えました。トウモロ コシ/米にタコの酢物、イサキ(バスに似た魚)ときゅうり、 シソ、ミョウガ、梅がトッピングされました。酢物、野菜、シソ が米に活気を与えていました。
最初のデザートにアンディ・ウォーホルが登場しました。色 鮮やかな円はウォーホルの作品で頻繁に用いられるテー マであり、松尾が訪れた展示会が彼にこのデザートのイ ンスピレーションを与えてくれました。松尾はチェリー、ブ ドウ、グリーンメロン、パイナップル、キウイ、スイカの小さな オーブでウォーホルのデザインを再現しました。イタリアン ホワイトワインハニージュレの光沢がさらに色彩に明るさ をもたらしていました。
コースの最後に松尾は翡翠ゼリー、黒糖味の豆乳ゼリー を供してくれました。豆乳ゼリーは氷のテーマで始まった 夜を締めくくるにふさわしいものでした。
松尾は大阪の中心部に2店舗目のレストランを開きまし た。小規模でカウンタースタイルサービスのレストランはオ フィス/レストランビルの上階にあります。主人を務めるの は19歳で料理の道に進み、松尾と28年間苦楽を共にす る高橋氏です。カウンターサービスはよりカジュアルな感 覚ですが、スタイルは松尾に通じるものがあります。柏屋北 新地店も品質に妥協を許さず、ミシュラン一つ星を獲得し ています。翌日訪れたよりカジュアルな雰囲気の柏屋北新 地でも同じ氷のテーマを用いていました。しかしながら、こ こでは氷のテーマの表現が異なっていました。ウニ、えび、 山芋、ジュンサイ、シソ、オクラを食材に用いた最初の料理 は大きな透明の氷にできた窪みに入れて供されました。日 本では珍しく、懐石料理の一品に鴨が食材として用いられ ていました。きれいなピンク色の胸肉がナス、獅子唐、から しと共に供されました。
ミシュランの星は簡単に獲得できるものではなく、星を 獲得することは常に大きな偉業です。4つの星とグリー ンスターを獲得した松尾英明は日本中の熱心な美食家 と特別な料理体験を求める海外からの旅行客の注目を 集めています。
PUBLISHER EDITORIAL COMMITTEE PROJECT MANAGEMENT EDITORS IN CHIEF CONTRIBUTORS TO THIS ISSUE TRANSLATION PROOFREADING | GRAPHIC DESIGN. LAYOUT ART DIRECTION PHOTOLITHOGRAPHY PREPRESS, PRINTING WATCH PHOTOGRAPHY OTHER PHOTOGRAPHY, ILLUSTRATIONS Release date: September 2024 |