Chapter 5
古の伝統と新たなクリエイティビティの調和
日本最古の都市のひとつであり、1,000年以上にわ たり皇都であった京都。古の時代における政治の、 そして哲学と芸術の中心であり、最も洗練された様 式美とも言える懐石料理誕生の地である。長い歴史 を誇る懐石は、洗練された、非常に奥深いコース料 理だ。季節の素材は定められた手順で料理され、各 コースにおいて一つ一つ丁寧に選ばれた皿や器に 芸術とも言える美しさで盛り付けられて供される。懐 石料理の起源は、朝廷の本膳料理、京都に多く存在 する禅寺の精進料理、京都で始まった茶の湯にある とされ、懐石料理の伝統という意味において、もてな し、作法、準備、あらゆる面で正確さに細心の気配り を払う京懐石の右に出るものはないであろう。数世 代にわたり家族によって経営され、昔ながらの料理 法をそのまま受け継ぐ老舗懐石料理店を、「レストラ ン」という括りで語ることはできないように思う。そん な凡庸な呼称を超えた格式。そして、京懐石の定義 とも言える、独特の過去との強い絆が存在している からである。いわゆる上客にとっては、懐石の流れは 長く慣れ親しんだものであろう。しかし、今、京都に は新風が吹いている。懐石料理の聖地とも称される 高名な老舗料亭が、古の伝統に現代風の要素を取 り入れ始めたのだ。一つは、現在15代目の瓢亭。もう 一つは4代目の美山荘である。その動きは、決して分 離や革命ではなく、懐石料理の新しくイノベーティブ な解釈と言い換えても良い。いずれの料亭も、あくま でも伝統を尊重しつつ、古いしきたりやしがらみにと らわれない形で伝統を継承しているからである。
「懐石」という言葉は、禅宗僧が寒さと空腹をしのぐ ために懐に入れた「温石」に由来し、のちに軽食を意 味する言葉へと変化した。茶の湯との関連は、16世 紀、千利休による茶道の発達に遡る。茶会の席では 本来カフェインが高い「濃茶」が中心となるのだが、 空腹のまま刺激の強い茶を飲むのは胃に良くないとさ れていた。そこで、千利休は茶会に軽食を取り入れる ことで、この問題を解決したのである。元来、茶会で 供される食事は「一汁三菜と米」という、文字通り非 常に軽いものであった。時が経つにつれ、茶会におけ る食事の要素がより多様化、様式化した。現在では、 この歴史から派生する2種類の懐石が存在する。一 つは本来の意味における茶会の茶懐石、もう一つが 料亭の懐石料理である。瓢亭も美山荘も懐石料理店 として知られているが、瓢亭には茶懐石もある。
瓢亭の歴史は長い。柿葺きの屋根と長い竹垣が特 徴の瓢亭は、京都中心部、平安神宮と枯山水庭園と して知られる南禅寺から等距離にある。外観はさり げなく、入り口は一目ではそれとはわからないほどだ。 だが、一歩中に足を踏み入れると、そこは魔法の世 界だ。街の喧騒から完全に分断された別世界が広 がる。緩やかに流れる小川には鯉が泳ぎ、苔むした 土手、低木や木々が生い茂る様は、さながら端正に 植樹・剪定された雨林のようである。庭園を走る数本 の小道は、独立した棟の茶室に続き、客は個室で懐 石料理を堪能することができる。茶室の一つは茅葺 屋根で、歴史の間にたびたび京都を襲った大火を逃 れ、400年間同じ場所に佇んでいる。数寄屋造りの茶 室からは、静寂な庭の景色を眺められる。外国人客 にはありがたい掘りごたつ式の茶室もあり、漆塗りの 純和風のお膳につくのに非常に便利でくつろげるデ ザインになっている。
瓢亭の暖簾は、2年前から現当主・高橋義弘氏によ って力強く守られている。父である高橋英一氏は決 して隠居したわけではなく、現在も頻繁に厨房に姿 を見せる。息子が創作した新しい料理は全て実際に 目で見て、チェックするのだ。当主となる前の義弘の バックグラウンドは、実に興味深い。フランス料理界に おいて、息子を後継者にすることを前提に、父親が直 々に技を教えるというのはごく当たり前のことであるが (オーベルジュ・ド・リルのマーク・エーベルランは父 ポールの元で修 行をし、ミッシェル・トロワグロは父 ピエールの元で修行、現在は自分の息子シーザーを弟 子として教えている)、京都はそうではない。料理人の ネットワークがあり、後継者の修行はそのネットワーク を通じ、別のレストランで行われるのが習わしなのだ。 高橋義弘氏は、金沢のつる幸で修行し、また、京都の 老舗料亭である菊乃井の主人村田吉弘氏からも多く の技を学んだ。そして、興味深いのは、かつて村田氏 が 修 行を積んだのが、高 橋 義 弘 氏の父 親の代の 瓢亭であったことだ。そんな縁から二人の間には強い 絆が生まれ、村田氏は頻繁に瓢亭を訪れ、アイディア を共有し、かつての弟子とともに厨房に立つ。
高橋氏は京懐石の伝統に厳しいほど忠実であると 同 時に、その目は常に外の世 界に向いている。彼 は、厨房にスチームコンベクションオーブンやブラスト チラー、真空調理用器などの新しい機材を導入している ことを認める。だが、これらの新たな器具は下準備の 作業を向上・近代化するために役に立つ一方、伝統 的な備長炭による炭火焼に取って代わるものではな いと主張する。一方で、彼のイノベーションは新機材 の導入にとどまることはない。新しい素材にも注目し、 それを取り入れた懐石料理の肝である出汁の開発 に余念がない。日本料理の出汁は、フランス料理の ソースと同様に、料理の要である。もっとも伝統的な出 汁は、昆布と鰹だしだ。その分量は、のちに加える醤 油や砂糖、みりん、しょうが、酒などと同じく様々であ る。しかし、昆布のベースは欠かせない。出汁はあら ゆる料理に使われるばかりではなく、料理のうま味に 欠くことのできない要素だ。「うま味」は、食欲をそそる 肉のような風味に例えられるが、人間が感じることの できる5つの基本味の一つとされている(他の4つは 塩味、甘味、酸味、苦味)。うま味は懐石料理の不可欠な 要素であり、出汁はうま味を引き出す一つの鍵なのだ。
そして、高 橋 氏は出 汁の新たなアプローチを開 発 した。昆布・鰹出汁の代わりに、トマト出汁を製作した のである。しかも、彼のトマト出汁は一種類ではなく、ト マトの調理法(直火焼き、グリル焼き、マッシュなど)に より複数の種類がある。新しいタコ料理を例にとって 説明しよう。まずトマト出汁を作り、タコを手早く3回湯 通しする。それぞれの湯通しの間には間を取り、タコ のうま味を出す。そして、味のコントラストを引き出すた めに、皿には梅を添える。冬になると、新しい冬出汁 が登場する。夏野菜のトマトではなく、天日干しにした 根菜の皮が出汁の素となるのである。
ここで、必然的に疑問が湧き上がった。瓢亭は、常連 客の忠実さで知られている。老舗料亭の伝統に慣れ 親しんだ人々に、どのようにこのイノベーションを紹介 したのだろう。高橋氏の答えはシンプルだ。彼は答え た。「非常に気を遣いました。」一時は、伝統的な出汁 と新しい出汁の両方を使った料理を出し、慣れ親し んだ味とイノベーションのどちらか好きな方を選べる ようにしたこともある。最近のメニューにあるハモ(柔 らかく、旬は7月)と鯛のコースは、うま味と鮮度を保つ ため「活け締め」と呼ばれる方法で締めた魚を巧み に切る。そして、伝統的な醤油とトマト(120度でグリル 焼き)・ゆずオイル・薄口醤油で作った新しいトマト醤 油の両方とともに供される。実際に食してみたところ、 当然ながら伝統的な醤油は美味であったが、トマトは両方 の刺身から鮮明で驚くような全く新しい味を引き出してくれ る。後者はこれまでも、新しい料理に対する上客中の上客 の反応を見るために使われている。
高 橋 氏 は、この 新 鮮 で 新しいアクセントについて 「京懐石を覆そうという気は全くない」という点を即 座に強調する。あくまでも、このイノベーションは懐石 料理の伝統を守る鍵となると考えているのだ。彼は、 多大なる敬意を受ける懐石料理の本質と価値を保 持することに忠誠を尽くしている。 異なった料理法 (生、蒸し物、揚げ物、焼き物、煮物)によるコースの 流れ、厳選した季節の素材のみを用い、揺るぎない 季 節 感を生むこと、皿の上の素 材の本 質だけを見 せ る、無駄を完全に省いたシンプルさ、念入りに選ばれ た器や皿で運ばれる料理の芸術性と詩的な美しさ。 この全てを、彼は大切にしている。
伝統への忠実さという意味では、卵、寿司、タコとイ チジク、鰻、ウニのコースの右に出るものはない。中で も「瓢亭と言えばこれ」という一品が、卵料理だ。あま りにシンプルで、ある意味陳腐な、高級料理の聖地に はそぐわない響きがあるが、瓢亭卵は実に不思議な 料理なのだ。半熟卵を半分に切り、黄身を上にして皿 に置かれる。ソースなどなく、余分なものは一切ない。 黄身はとろりと柔らかいのに、白身は中までしっかりと 固まっており、つるりと傷一つないのである。そして何 よりも、卵の切り方が奇跡的だ。白身や表面には一切 黄身の跡がない。まるで、ミニマリストが描いた究極の 卵の絵を見ているかのようだ。しかもこれは絵ではな く、本物の料理なのだ。ちまきと呼ばれる金目鯛の寿 司は、7月に開催される祇園祭の名物である。小さな 三角形に握った飯と魚を、笹の葉で包み、イグサで丁 寧に結ぶ。この美術品のような包みをほどくと、ささや かな感動が訪れる。イチジクは、新たな領域に達して いると言っても過言ではない。一般的にイチジクはあ られの衣であげるものだが、瓢亭では衣にすりごまを 使うことで、この伝統的な料理に一風変わった味わい を与えた。タコ子の柚子味噌田楽も一味違う。普通で あれば足を使うところを、タコの子を使う。焼き物はご ぼうを鰻巻きで、スモーキーなうま味たっぷりだ。ガラ スの器に入っているのは、さながらパフェの和食風と いった趣で、赤ピーマンと豆腐のピューレの上に滑ら かな舌触りのウニと醤油のジュレが載っている。ウニと ジュレはベルベットのような豆腐のクリームに包まれ、 口に運ぶたびにその下にあるピーマンの歯ごたえで 絶妙な食感が生まれる。これは完全に芸術作品だ。
焼き物のメインはスズキである。しかし、それはただの スズキではない。高橋氏によって、さらに洗練された 調理法で完成された焼き物である。単にグリルで焼く のではなく、まず魚に油をかけるのだ。これは、父から 教わった中華料理のテクニックだ。魚に高温の油を数 回かけた後、一度休ませてから再度高温の備長炭 で焼くという複雑なプロセスである。いったん休ませる ことで、魚の水分を中に閉じ込めることができる。そし て、シソとライム、酢、生姜でアクセントをつける。このコ ンビネーションは絶妙だ。魚の皮はパリッと仕上がり、 みずみずしく甘みのある魚肉はライムのさわやかな酸 味とほど良いコントラストを展開する。
伝統的な懐石料理には煮物が必ず含まれるが、今回 はアワビ、賀茂ナスの天ぷら、ししとうが上品な風味 の伝統的なうす味の出汁とともに供された。
懐石料理のデザートは軽いものというのが定番で、今 回の夏の懐石も例外ではない。ジューシーで甘いマン ゴーと白桃、メロンのスライスを、空気のようにふわりと した桜桃酒のジュレが囲む。このジュレだけで、一つ のイノベーションだ。茶懐石のデザートは単なる料理 を楽しむだけではなく、茶会の作法も重要だ。着物姿 の女性は私の前に器を置くと、そっと器をまわし、手を 引いた。美しい漆塗りの器に、抹茶はきらきらと泡立っ ている。そこで客は、側面の絵柄が見えるように器を 静かに3回回すよう促される。そして、最後に京都の 夏の風物詩である甘い水菓子が供される。そして、 主人の母である大女将が挨拶に現れ、一連の食事 が終了した。
京都から北へ1時間半車で山道を行ったところに、 美山荘 は あ る 。山 側 を 登 る 道 は 粗 野 な 田 舎 道 で 、あ ちこち で 車 が 1 台しか通れないほど の 狭 い 道 が 続く。山 深 い 人 里 離 れ たところに 位 置 するこの 旅 館 には 塀 は 必 要 ない だろう。 深 い 緑 の 森 によって 完 全 に 外 界 から隔離さ れ 、完 璧 な プライバ シ ー を 保 つ ことが できる 。 「日本のイメージは都市の雑踏」という人は、一度美山 荘を訪れてみるといい。美山荘の隔世感と静寂さ、遁 世感はそんなイメージを完全に覆してくれるだろう。 美山荘は、深い森と脇を流れる泉と驚くほど一体化し ている。携帯電話の電波もほとんど届かず、携帯電話 に手を伸ばしたくなる衝動を消し去ってしまう。
美 山 荘は、当 主である中 東 久 人 夫 妻 が 経 営 する 110年の歴史を誇る家族経営の旅館だ。中東氏の料 理哲学のほとんどは父親から受け継いだ日本の伝統 に基づくものであるが、彼が修行を受けたのははるか 彼方の外国であった。日本の厨房を経験する前に、 中東氏はフランスへ渡っている。しかし、彼は厨房で 料理をするのではなく、あえてウェイターとして入るこ とを選んだ。客と料理との関係性、レストランでの経験 を学びたいとの思いからであった。彼はまずパリを訪 れ、その後ウージェニー・レ・バンで3つ星シェフであり ミシェル・ゲラールの元で働いた。フランスから帰国し た中東氏が修行の場として選んだのは、石川県のつ る幸であった。しかし、残念なことに、彼が美山荘に 戻ったのは父親が他界してからのことだった。
懐石料理の特色の一つは、最高の地元産の素材へ の強いこだわりだ。しかし「地元の素材」とはどのよう に定義されるのか。美山荘の究極のこだわりは、ここ にある。中東氏にとって「地元の素材」とは、旅館を取 り巻く野山で採れるものを意味する。例えば、美山荘 の料理に使われる淡水魚は全て山を流れる川で 獲れたもので、海水魚については距離的に京都とそ う遠くないとはいえ、純粋にいえば「地元」ではない。 同様に、野菜も隣接する地域から手に入れるものも ある。しかし、彼の選択眼は厳しい。地元の露地物であ ることが基本であるが、さらに極力、栽培物より山菜な どの天然物を選ぶという。美山荘の自然庭園にある 唯一自然とは言えないものは、野生動物から植物を 保護する柵だけである。植物は、基本的に手を加えず 自然のまま生い茂っている。栽培物と天然物の違い は、どこにあるのかを中 東 氏に尋ねてみた。「 植 物
同士が競い合って育つことで、それぞれの植物の特色 が出やすくなる」と中東氏は考えるという。本来の意味 での天然の植物とは、人の手を加えずに成長するもの であるが、成長のサイクルや育成の形、成長の時期を 研究することにより、それぞれの素材をどのように料理 に取り入れるかを理解することができると語る。彼の地 元とその自然へのこだわりは、ジビエ(野鳥・野獣の肉) の季節に発揮される。熊、鹿、猪など、周りの山で獲れ た肉が、美山荘の懐石料理に並ぶのだ。
中東氏の「庭」における狩猟採集に対するこだわり は、彼の料理が野菜を中心に作られることを意味し ている。その典型的な例は、和牛料理だ。通常の場 合、肉料理は肉の準備から始めるものだ。付け合せ や調理法はその次だ。しかし、中東氏の場合は、野菜 から始まる。正確に言うと、庭に生える木から取れる 葛の葉だ。ある日彼は、葛の葉巻の料理を作りたいと 思い、葉の香りを吸収する素材を探したという。このよ うに、通常の概念であれば「牛肉の料理」となるもの が、彼の手にかかると「葉の料理」になるのである。この 料理の完成に、彼は3年を費やした。口当たりの良い 脂身たっぷりの和 牛を味 噌 、みりん、醤 油に3日間 漬け込む。そして、それを葛の葉で巻き、上に山椒の 花を載せて43度の低温でじっくり火を通す。結果はとに かく素晴らしいの一言だ。漬け汁をたっぷり吸い込んだ 牛の脂身は、まるでフォアグラのような舌触りに仕上 がり、葛の葉と山椒の香りが絶妙なアクセントをつける。
懐石料理において「八寸」と呼ばれる2番目のコース は、季 節 感を表 現するとされている。美山荘の季 節 の料理と言えば、山で採られる野草や山菜のメドレー だ。キュウリ、シイタケ、地元産野草の豆腐ドレッシング がけにタケノコの照り焼き、こんにゃくのあられ衣揚 げ、小エビの枝豆添え、卵黄の塩漬けが、籠で供さ れる。どの料理も絶品だ。キュウリはクリーミーな豆腐 ドレッシングに浸りきることなく、歯ごたえが程よく残 る。タケノコの繊細な柔らかさは、驚愕に値する。しか しここで際立つのは、卵の黄身である。中東氏は黄身 を3日間味噌漬けにするのだが、3日目には黄身はゴー ダチーズのようになる。外側が赤くなるところまで、まさ にゴーダチーズそのものだ。 細部へのこだわりは日本料理の特徴とも言える要素 だが、懐石料理においてはそれがとりわけ顕著であ る。美山荘の野鯉の刺身は、まさにそれを体現してい た。鯉は肉厚でかみごたえのある食感で知られるが、 切り方や保存時の温度を少しでも誤ると、食感は失 われてしまう。鯉は卓のそばでおろす。手際よく切り、 それぞれの切り身を氷の上に置き、最後に氷とともに 木箱に入れる。添え物は、柔らかな風味の川藻と食 用花、おろしたてのわさびだ。
当然ながら、美山荘では刺身の次は野菜である。黄 色のトマト、赤ピーマン、野アスパラガス・・・見た目も鮮 やかだ。ツヤ出しの柚味噌が繊細なアクセントをつけ る。素材一つ一つが、ピークを迎えた旬のものだ。
切り方や保存時の温度を少しでも誤ると、食感は失 われてしまう。鯉は卓のそばでおろす。手際よく切り、 それぞれの切り身を氷の上に置き、最後に氷とともに 木箱に入れる。添え物は、柔らかな風味の川藻と食 用花、おろしたてのわさびだ。
当然ながら、美山荘では刺身の次は野菜である。黄 色のトマト、赤ピーマン、野アスパラガス・・・見た目も鮮 やかだ。ツヤ出しの柚味噌が繊細なアクセントをつけ る。素材一つ一つが、ピークを迎えた旬のものだ。
夏の魚である鮎の旬の時期は短い。美山荘は伝統 に忠 実に、備 長 炭で炭 火 焼きにする。伝 統 的なの は焼き方だけではない。鮎は一匹づつ緩やかなS字 カーブを描くように串刺しにする。そうすることによっ て、全体が同じ焼き具合になるのである。鮎は頭から 尾まで丸ごと食べられる。部分によって味が違い、頭 の部分は若干苦味があり、尾に近づくほど甘味があ る。酢または野草のソースでいただく。
美山荘の野菜への力の入れ方は、2番目の野菜の コースがあることでもよく分かる。今回供されたのは、水 ナスとキュウリの料理だ。ナスは、皮に煙の香りが残る までじっくりとオーブンで焼く。淡白な味のナスとキュウ リに、中東氏は昆布と鰹のだしのジュレと木の芽で下 味のパンチをつける。 漬物は、懐石料理に欠かせない要素だ。美山荘クラ スになると、当然漬物は自家製だ。美山荘には、長時 間の漬け込みと発酵用に漬物専用のセラーがある。 漬物の重要さは、来年さらに広い漬物用のセラーを 作る計画があることでもわかるだろう。地元の店のも のとは違う、新鮮さと繊細さが美山荘の漬物にはあ る。甘く漬け込んだ魚とともに、飯の添え物として供さ れたのは、漬物と梅干であった。
もちろん山の素材は、デザートにも活かされる。メイン は天然のすもものワイン煮松の実ジャム添え、洗練さ れた微妙な味わいの野生ミントジュレ添え。松の実が すももの酸味にまろ味を加え、バランス感は完璧だ。
もっとも伝統的な日本料理の進化を語る際に、江戸 前寿司を見逃してはならないだろう。京都は料理の ルーツに忠実な都市として知られる一方、東京はそこま で縛られてはいない。東京は、とどまることを知らない 躍動感あふれる街だ。東京の多様性は、30万という 飲食店の数だけでもわかるであろう。この数の凄さを 実感するにはニューヨークの3万という数と比較する と良い。つまり、東京では探さなくとも何でも見つかる ということだ。革新的な料理、食べたことのない料理、 うまいもの、まずいもの、とんでもないもの・・・何でもだ。 選択肢の数でいうと、銀座だけで300軒の寿司屋が あるのである。
しかし、寿司は特別だ。寿司に関しては、東京でさえ ルールが存在する。しかしながら、寿司を定義する枠 組みの中でも、イノベーションと近代化の波が近づい ている。ここで銀座の鮨とかみを紹介しよう。
東京のトップクラスの寿司屋は大抵そうであるように、 とかみの店構えもこじんまりとして地味である。カウン ターは10席のみ。このクラスの洗練された寿司店では カウンター席は当たり前で、寿司作りをじっくり見なが ら味わうことができる。そして、寿司は職人から直接 受け取ることになる。
鮨とかみは、店主であり寿司職人の佐藤博之氏が 仕 切っている。鮨 職 人 への道は決して短い道のり ではなく、佐藤氏がここまでに至る経緯も例外では ない。もともとはウェイターをしていた彼は、日本での ウェイターの可能性に限界があることを知った。そんな 時、たまたま父親が寿司屋を経営していたことから、 修行をはじめることを思い立ったという。渋谷にある 有名な秋月に入り、彼にとって最長となる6年間を勤 め上げた。数年間の修行の後でさえも、佐藤氏は秋 月で客に寿司を出すことは許されなかった。その役割 は、あくまでも料理長のものなのだ。しかしある時から 秋月の店主は、閉店後残り物の材料を使って寿司を握 るよう佐藤氏に促し、店主自らそれを試食しアドバイス するようになった。この時間外の修行により、佐藤氏は 寿司職人としての腕を磨くことができたのだった。
「誰でも寿司は作ることができる」と佐藤は語る。しか し「最高の寿司」は修行を積んだ職人にしか握ること はできないと、固く信じている。初心者は、魚にばかり 気が向いてしまいがちだ。確かに、魚の選び方とおろ し方は必要不可欠な要素だ。だが、寿司を芸術の域 に高めているのは、一流の職人の米に対するこだわり と感覚なのである。時間の経過、湿度、温度に敏感な 米は、日々変化するものだ。新米は水分が多いが、時 間が経過すると徐々に乾燥が進む。佐藤氏にとって、 最高の米は1年ものだという。しかし、これも決まって いるわけではない。だから、彼は毎日米のチェックを欠 かさない。彼が好んで使う米は、山形県産の交配種 の一つだ。良い生産者を見つけることは、米の生育だ けではなく、精米においても重要だ。丁寧に精米しな いと、米が割れてしまう。
佐藤氏は、毎朝築地魚市場へ足を運ぶ。彼は卸業者 と特別な関係を築いてきた。マグロ、ウニ、エビ・貝類。 それぞれの業者が、専用の箱に商品を分けておいて くれる。その箱の中から、彼は自分の米に最も合うも のを選ぶ。この作業を複雑にする要素が、時間の経 過だ。経験の浅い者にとって、寿司の魚は釣りたての ものを使っていると思われている。しかし、実際はそう ではない。マグロは部分によっては1週間おいた方が 良いという。その間、職人はタイミングを見計らうべく、 日々目を光らせていなくてはならないのである。 昆布も特別な存在であり、佐藤氏は昆布についても 独自の哲学を持っている。彼は5年ものを選ぶ。5年も のには深い旨みがあるという。
東京の寿司業界では、白酢というカテゴリーに属する 米酢を使うのが通常である。しかし、鮨とかみでは酒 粕から作られる赤酢を使い、この例外的な選択から生 まれるより豊かな旨みと合う魚が選ばれる。酢の違い は、くっきりとした香り、わずかな酸味とやわらかな甘み だけではなく、琥珀色に輝く米の色で良く分かる。
ごく普通の寿司屋では、まずは握りを注文してしまい がちだ。握りの歴史は200年前に遡るが、もともとは贅 沢な料理ではなく、その日に採れた魚を飯の上に乗 せて出す、いわば江戸のファストフードのような存在で あった。
鮨とかみのような高級店では、多彩なつまみから食事 が始まる。握りはそれからだ。鮨とかみは「おまかせ」。 つまり、職人がその日のメニューを決めるスタイルで ある。最初のつまみは、この世のものとは思えない柔 らかさの鮪突先の手巻きである。海苔は驚くほど薄 い。見た目としては、緑色の春巻きのようだ。突先は非 常に珍しい素材であり、想像を絶する芳醇な香りと柔 らかい食感で知られる。そして、一般の寿司店とは違 い、とかみの海苔は歯ごたえも繊細、この微妙な味わ いは決して主張しすぎない微妙な味わいは、鮪を上 手に引き立ててくれる。
そして、次に出てきたのが、蓴菜、ウニ、蒸しあわび だ。繊細な珍味の良さを生かしたコンビネーションだ。 それぞれが独 特の風 味を出している。そして、軽く 炙った穴子が二つ。一つはわさび乗せ、もう一つは梅が 乗っている。いずれも穴子のとろみと良いコントラスト を感じさせてくれる。
次はからりと揚げた鮎に酢のジュレを添えたもの。魚 の洗練された風味に素朴な食感を与えるこのコンビ ネーションは、食感の波に乗っているかのようだ。
つまみのハイライトは、鮟肝のケール、椎茸、マイクロト マト添えだ。絶妙な料理で、豊かな味わい、味、食感 と、全てがまるで伝 統 的なフランスのカモの肝 臓の フォアグラのようだ。
つまみの締めは、梭子魚(カマス)のぬか漬けだ。京 都産の万願寺唐辛子が2枚上に添えられている。溢 れる深みと力強いうま味の波が味覚を刺激する。
そして、ようやく握り寿司の登場だ。ネタの種類は幅 広い。ヅケ(赤身の醤油漬け)、中トロ、大トロと、3種 のマグロはお決まりだ。いずれも同じ一匹のマグロを 使う。佐藤氏は、重さ30キロ程度の小ぶりのマグロを 選んでいるという。大ぶりの魚と違いはどこにあるの かを尋ねたところ、魚が食べる餌だという。小ぶりの魚 は岸に近い浅いところに生息している。つまり、河口 付近のプランクトンを食べる小型魚の多い場所だ。ど の部分のマグロも、醸造酢がマグロのとろけるような 食感に鮮やかさをもたらしてくれる。
そして、昆布漬け-酢、酒、砂糖に漬け込む-を生か した魚が2種。コハダとキスだが、とりわけ昆布のうま 味によってキスの甘さに深みが出ているのが特徴だ。
ハマグリも実に素晴らしい。低温でじっくり火を通すこ とで、甘みが際立ち、自然のかみごたえをうまく残して いる。伝統的な甘い出汁の味付けも良い。
今日のメニューには、対照的な食感を活かした逸品 が2つあった。1つ目はウニで、これは完全にイノベー ションと呼んでも過 言ではない。佐 藤 氏は、温かい ウニと冷たいウニを合わせて盛る。口に入れた瞬間 の感覚は、絶妙だ。まず食欲をそそる涼感が舌を刺 激し、間髪を入れずに心地よい音感が口に広がる。 「素晴らしい」の一言だ。もう1つはノドグロで、昆布 に漬け込んだ魚を皮だけに焦げ目がつくように炭火 焼にする。ここでもコントラストが際立つ。皮は炭火焼 で繊細な歯ごたえがつき、生の魚肉は口の中でとろけ るような、空気のように繊細な食感を残している。
皿に並ぶ2種 類の穴 子は、一つが醤 油、砂 糖、みり ん、穴子に出汁をベースにしたたれ、もう一つが塩と 柚子の炭火焼だ。温かい蒸し物は、ふわふわのクッ ションのようだ。炭火焼はかみごたえとともにパンチが 効いている。
そして、お椀が続く。フランス料理の技術を取り入れ た骨と魚のアラの出汁が使われているという。 伝統的な寿司の締めは、卵焼きだ。ここでもフランス 料理のアクセントが感じられる。鮮やかな黄色い卵焼 きは、クレームブリュレのように表面がカリカリに焼け ている。
歴史ある優れた料理を試すことは、博物館のツアー のようであってはならない。単に伝統をなぞるだけで はなく、それに敬意を払いながら生命感と躍動感を感 じることで、多くのことを学び、最高の経験ができるの である。懐石料理、寿司という、尊敬される伝統料理 が、新鮮な風を受け、進化する姿を見るのは心が躍 る体験だと思う1 。
1 記事中で紹介したレストランは全て ミシュランガイドの星つきである。 瓢亭は3つ星、美山荘は2つ星、鮨と かみは1つ星。