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Chapter 2

レディバード

ヴィルレの工房からモンローへ

このチャプターの著者

ジェフリー・S・キングストン

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ジェフリー・S・キングストン
レディバード
レディバード
Issue 17 Chapter 2

「言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。 でもやってほしいことがあれば、女に頼みなさい。」   マーガレット・サッチャー

マーガレット・サッチャーの言葉はいつも的を射てい たが、ブランパンのレディスウォッチ レディバードに ついては、半分しか当たっていないと言えるだろう。 レディバードは、ジャン-ジャック・フィスターと彼の叔 母ベティ・フィスターのコラボレーションから誕 生し た―つまり男女双方のビジョンと才能によって製作さ れたからだ。フィスター家のこのふたりは、65年にわ たりブランパンの舵取りを務めた。ある時期は単独で あったが、二人のコラボレーションは長期にわたった。 ブランパンのレディスウォッチが大きく花開いたのは、 この時期である。長い歴史を誇るヴィルレの工房で レディバードが誕生したのは、1956年のことだ。今で はアイコン的な存在となったこのレディスウォッチは、 発表とともに大きな話題を呼び、ダイヤモンドがふん だんにちりばめられたブランパンのプラチナウォッチ はマリリン・モンローのお気に入りとなり、これはのち にハリウッドのオークションで注目アイテムとなった。

ベティ・フィスターがわずか16歳の頃、見習いとしてブ ランパンに入社したのは1915年であった。学校を卒 業したての彼女には、自身がのちに歴史となる第一 歩を踏み出したとは想像すらつかなかったことだろ う。その後 45年 間フルタイムで、引 退 後もアドバイ ザーとしてさらに10年間、ブランパンとともに歩んできた 彼女は、半世紀以上をブランパンに捧げたのである。 彼女がブランパンに入社した当時の社長は、創業家 7代目のフレデリック-エミール・ブランパンであった。 彼は、1735年のヴィルレ村民名簿に「時計職人」とし ての記録が残る、創業者ジャン-ジャック・ブランパン の子孫だ。ベティは、入社するやいなや頭角を現し、 生産部門主任、そして技術・商業開発主任に昇格し た。フレデリック-エミール・ブランパンは彼女の才能を 信頼し、自分の住居をヴィルレからローザンヌへ移転 することにした。彼は当時、画期的な発明品「ディク タフォン」を導入し、新しい技術を進んで取り入れると ともに、革新的な経営方法を展開した。薄く伸ばした ロウのロールを機械にセットし、それに音声を録音す る仕掛けの「ディクタフォン」に、彼はベティへの指示 を録音し、それを彼女に郵送した。フレデリック-エミー ルは、絶大なる信頼を寄せていたベティに全てを託 すことができたのだ。 

ベティ・フィスター

ベティ・フィスター

ジャン-ジャック・フィスター

ジャン-ジャック・フィスター

ブランパンの家族経営は 2世紀もの歴史を誇る。

1932年、フレデリック-エミールが急逝した。彼に跡継 ぎの息子はおらず、娘は事業を引き継ぐことを望まな かったため、ブランパンの家族経営は途絶えることを 余儀なくされた。しかし、ブランパンには、才能溢れる 後継者がいた。ベティ・フィスターは、セールス主任の アンドレ・レアルと共同出資し、1933年に事業を買収、 レイヴィル-ブランパンと社名を改めたのである。レイヴ ィルはヴィルレのアナグラムだ。というのも、スイスの法 律の風変わりな制約のため、社名の変更をせざるを 得なかったのだ。つまり、ブランパン家以外の人間が 事業を継続する場合、事業の登記上、新たな事業主 は商号を変えなければならなかったのである。(この 法律のために、ジュネーヴに拠点を置くある有名な時 計ブランドは、2つの名前からなる社名を継続するた めに「社名と同じ苗字の人物」を雇うという、苦肉の 索を取り続けている)。

200年に及ぶ家族経営に幕が閉ざされ、ベティ・フィス ターの手に権限がわたるにあたり、フレデリック-エミー ルの娘ネリーは、ベティに心を込めた手紙を書いた。 「親愛なるベティへ 私の子供時代や少女時代の思い出が詰まったこの 時代が終わりを迎えるにあたり、私がどれほど辛い気 持ちなのかは、よくおわかりのことでしょう。父が作り上 げたヴィルレに別れを告げるのは、本当に悲しいこと です。でも、あなたがレアルさんと共に会社を経営して くださることで、その悲しみも癒されます。心から感謝 しています。おふたりのおかげで、私たちが長い間培 ってきた素晴らしい伝統がこれからも大切に継承し ていくと信じています。 あなたは父の数少ない、親愛なるパートナーでした。 ここで改めて、あなたの比類のない優しさに感謝の 言葉を述べたいと思います。あなたの親切は、一生 私の心に残ることでしょう。 ネリー」 事業を受け継いだベティ・フィスターの道のりは、楽な ものではなかった。大恐慌はスイス時計業界全体に 大きな打撃を与え、多くの会社が倒産し、多数の失 業者を生んだ。打解策として、ブランパンはアメリカ市 場への進出を検討した。1930年代半ば、アメリカ経済 はヨーロッパより安定していたからである。ベティは、 ムーブメントのサプライヤーとしてアメリカ市場に進出 することとし、ブランパンは、グリュエン、エルジン、ハミル トンのメインサプライヤーとして、事業を展開すること となったのである。

 

ヴィルレに現存するブランパンの ファームハウス

ヴィルレに現存するブランパンの ファームハウス

1900年頃のヴィルレ村

1900年頃のヴィルレ村

さらにまた、荒波がブランパンを襲った。第二次世界 大戦が始まる直前に、共同経営者であるアンドレ・レア ルが他界したのだ。 こうしてベティ・フィスターは、時計業界においてある 意味ユニークな、先駆者的な立場に立たされることに なった。彼女は女性として初めて、200人から300人の 従業員を抱える、伝統ある時計会社の社長兼オーナー となったのである。以 来 1950年まで、彼 女はたった 一人でこの偉業を成し遂げ、スイスの時計業界にお ける伝説の存在として名を馳せることとなった。 ベティの師であったフレデリック-エミールが着手した 技術のひとつに、レディスウォッチの小型ムーブメント の制作が挙げられる。ブランパンは、第一次世界大 戦直前に小型の楕円型キャリバーやバゲット型キャリ バーを開発し、いずれも高い人気を博していた。ベティ・ フィスターは、この部門をさらに拡張し、成功へと導 いたのである。彼女は、ムーブメントとともに小型のイ ンナーケースも併せて提供するサプライヤーという戦 略を打ち出した。これは、ケースが完全に装備された 時計に課せられる関税が厳しいことへの対策でもあっ た。「calotte」と呼ばれるインナーケース付ムーブメ ントはアメリカをはじめ世界中に輸出され、とりわけア メリカでは、貴金属のケースに装着され、宝石で装飾 されることが多かった。 ベティがリーダーとして率いるブランパンの業績は、 のちに甥のジャン-ジャック・フィスターが参画した時 点で、その基 盤が形 成された。ジャン-ジャックは歴 史学の学位取得後、博士課程に進む予定だった。

つまり、彼は時計製作の経験がまったくないまま、叔 母の事業に参加したのである。とはいえ彼の一家は 時計製造とまったく無縁ではなく、祖父は1939年まで ブランパンに勤めていた時計職人だったのだ。甥のキ ャリアを伸ばすための研修が、ベティのまず最初の課 題となった。彼女は1年間のプログラムを組み、ブラン パンの経理からマーケティング、製品に至るまでの全 てを甥に教示した。そして、プログラムを見事終えたジ ャン-ジャックは、ブランパンの新製品開発と日々のオ ペレーションを管理するポストに就任することとなった のである。 こうして、1年間の養成期間を経たジャン-ジャックは、 ベティの共同経営者となった。ブランパンの取締役 は、ベティとジャン-ジャックの二人だけだった。この体 制は、オメガやレマニアなど有名なブランドを傘下とす るSSIHと合併する1960年まで続いた。この期間、二 人は密接に共同作業をしつつ、クライアントとの商談 の際は共によく出張した。SSIHとの合併後も、ベティと ジャン-ジャックは取締役として参加し、ベティが完全 にリタイアする1970年まで継続した。

レディバード
レディバード
レディバード
レディバード

ベティとジャン-ジャック・フィスターによる 共同経営の時代、ブランパンにレディバードとフィフティ ファゾムスという2つのアイコンが誕生した。

時を遡り、ブランパンが共同事業主体制となった草創 期に、アイコン的な存在であるとともに、今でも色褪せ ることのないブランパンの中核を成すコレクションとな った2本のタイムピースが開発された。それがダイバー ズウォッチのフィフティファゾムスと、本 文のテーマ として取り上げているレディスウォッチ、レディバード だ。レディバードの開発・製造にあたっては、ベティとジャ ン-ジャックはすでにブランパンが得意としていた分 野を最大限に生かすことができた。大きな野心を抱く 二人は、当初から新たなランドマークとなるタイムピー スを制作する決意を固めていた。ジャン-ジャックは、ジュ ウ渓谷を拠点として活動する、極めて小さなバゲッ ト型のレディスウォッチを制作していた同業者と交友 があったのだが、彼の目標というのは2つの点で友人 でもある同業者に勝るタイムピースを製造することだっ た。ひとつめは、より小 型で丸 型のものを作ること。 もうひとつは、頑丈なものを作ることであった。過度な批 判は控えるが、ジュウ渓谷で制作されていたバゲット 型のタイムピースは壊れやすいのが欠点で、ネジを巻 く方向を誤っただけで壊れてしまうほどであった。 ベティとジャン-ジャック・フィスターは、いずれの点でも 目標に到達した。開発にあたっては文字通り「現場 主義」を実践し、二人はヴィルレで生活した。ヴィルレ は、ブランパンの創 始 者ジャン-ジャック・ブランパン が、1735年に自分のファームハウスの2階に工房を作っ た場所である。1950年代初めには、ブランパンはヴィ ルレに3軒の建 物を所 有していた。建 立 1636年に 遡るジャン-ジャックのファームハウス兼工房と、大火 事の後、1863年に建て替えられた工房「ラ・メゾン」、 そしてもう一軒の建物だ。二つに分かれた構造を持 つラ・メゾンには、片方にベティが、もう片方にジャンジャックが住み込んだ。ラ・メゾンはブランパンの象徴として、あらゆる時代をひとつに結集するスペースだ。 この建物は、フレデリック-エミールの父ジュール-エ ミール・ブランパン、フレデリック-エミール自身、そしてベ ティ・フィスターとジャン-ジャック・フィスターというように 家主が変わり、1636年に建設されたジャン-ジャック・ブ ランパンの農場に移り住んだ1959年、ジャン-ジャック・ フィスターはブランパンのルーツに回帰したのだ。 世界最小の丸型ムーブメント、そしてそのサイズにも かかわらず優れた耐久性を備えるムーブメントを制 作するにあたり、ブランパンは2つの大きなイノベーショ ンを生み出した。一つは輪列に新しい歯車を加えた のだ。通常、機械式時計の輪列は、香箱車を1つ目とし て、エスケープメントのカナで回転する4番車(英語では seconds wheelとも呼ばれる)までの4つの歯車から構成 される。ところがフィスターは、ムーブメントを小型化す ることで、比類のない安定性を誇る5つ目の歯車を加 えたのである。時計製造に精通した職人は、唖然とし たであろう。「それでは、時計が逆回りになってしまう だろう!」と。確かにその通りだ。ならば、エスケープメン トが逆回りになるように設定すれば良いのである。こ うして、問題はいとも簡単に解決した。

なぜ5番目の歯車を加えることが偉大な発明だったの だろうか。それは、エスケープメントにかかるエネルギー をコントロールできるからである。それによって、設計 面での堅牢性が強化されたのだ。 もうひとつのイノベーションは、テン輪に耐衝撃の性能 を加えたことだ。それまでの超小型ムーブメントは、小 型化を追求するあまり、この重要な要素を軽視してい た。当然ながら、そのためキャリバーは壊れやすかった のだ。ブランパンは、耐衝撃性の設計を取り入れ、超小 型のレディバードのキャリバーに生かしたのである。 直径11.85mmというサイズを実現し、ブランパンは新た な記録を打ち立てた。ムーブメント全体のサイズに加え、 テン輪のサイズでも時計業界最小を記録した。あまりに 小さいために、22個の極小のゴールド製ネジで世界 最小のテン輪を固定するという作業は、最も熟練した 時計職人でなくては不可能だった。これはフィスター も予想できないことであったという。 世界最小という記録だけではなく、ブランパンは巻き のシステムの特許も取得した。一般には2つのバージョ ンがあり、一つは3時 位 置にある従 来のリューズが 備わったキャリバーR55、もう一つは裏面にリューズが 備わったキャリバーR550だ。実際には、5振動で作動 するキャリバーR52とR520も存在したが、6振動のキャ リバーR55とR550がほぼその直後に登場し、低振動 のR52とR520に取って代わる形となった。

裏面にリューズを備えるキャリバーR550(そして前モ デルのR520)のネジ巻きと時間設定のデザインは、ま さしく巧妙だ。リューズは、香箱車とかみ合う角穴車 に連動している。角穴車の歯は、一般に「ブレゲ式歯 車」と呼ばれる。ある方向に巻くと、連結している歯車 を回転させる(ここでは香箱車)。しかし、反対方向に 巻くと歯車同士が滑ってしまう。つまり、リューズを正し い方向に回転させると時計のネジを巻くことができる が、反対方向に回転させると空回りするだけで香箱 を損傷することはないのだ。リューズを引き出して時 間を合わせる際(軸に圧入された小さなバネで機能 する)は、ムーブメントのダイヤル側に位置する歯車が 動いて、針が回転するようになっている。

レディバードの実寸図面。左下の テン輪が見て取れる。

レディバードの実寸図面。左下の テン輪が見て取れる。

ブランパンは、マリリンが愛用した ウォッチメーカー。

ジャン-ジャック・フィスターが命名したレディバードの 名は、フランス語とアメリカ英語の融合だ。最初に思 いついた名前は、coccinelle (コクシネル)。てんとう虫 という意味のフランス語では、小型でエレガントなこの 時計によく合い、その特徴を見事に表現しているのだ が、アメリカ英語の「ladybug」ではそのニュアンスが うまく伝わらない。coccinelleにはロマンチックなイメー ジが漂い、音としても詩的な響きがあるのだが、アメリ カ英語にはそのいずれの要素もないのである。どうし ても、bug(=虫)という言葉はきれいに響かず、害虫の イメージがつきまとってしまう。こうした難問をかわす べく、彼はアメリカ英語へ翻訳するということをやめ、 フランス語、アメリカ英語の双方にとっても非常に創 造的なネーミング「Ladybird」に落ち着いたのである。

ブランパンの創造性は、画期的なムーブメントに留まら なかった。高級時計としては、世界で初めて、ストラッ プの交換が簡単にできる「ブレット式」をレディバード に採用した。時計の裏側のスロットにストラップを装着 する仕組みで、難しい操作は一切必要なく、手軽に別 の色のストラップに交換できたのである。このレディ バードは3色のカラーストラップ付きで販売された。 ブランパンのレディバードは、商業的にも大成功を収めた。 ブランパンとして発売される以外に、他のブランドや 宝石ブランドの商品としても取り扱われたほどだ。ベ ティが開発したモデルに続き、多くのレディバードはム ーブメント一式をインナーケースに収めたセットとして 輸出された。そして、それらの時計は、ゴールドのアウ ターケースや宝石のセッティングが贅沢に施されてい た。マリリン・モンローの目にとまったのは、そうした宝 石がちりばめられたラグジュアリーウォッチのひとつで あったのだ。

マリリン・モンローのブランパン

マリリン・モンローのブランパン

幅広いスタイルを展開する 現在のレディバード

幅広いスタイルを展開する 現在のレディバード

レディバード
レディバード

レディバードは、ブランパンの 小型タイムピースの定番コレクション として愛され続けている。

Iレディバードは商業的な成功だけでなく、そのクオリティ も高く評価された。現在、ジュネーブ時計グランプリ (GPHG)と呼ばれる賞は、毎年行われるスイス最高 位の時計コンペティションだが、かつてジュネーブ市 大賞と呼ばれた時代に、レディバードは数回グランプ リを受賞している。

1956年の発表以来、レディバードはブランパンの定番 コレクションとして確固たる存在を維持してきた。長年 にわたってムーブメントが改良され、ラグジュアリーな 自動巻きモデルが仲間入りしたが、レディバードはブラ ンパンの小型時計を象徴するコレクションだ。「レディ バードを大きくしたら、その存在が小さくなってしまう!」 という1980年代の見解は、実に的を射たものだったと いえる。

現在のレディバードは、ホワイトゴールドとレッドゴールド で幅広いモデルを展開する。直径はいずれも21.5 mm。 ダイヤモンド入りベゼル、ダイヤモンドやルビー、サファ イアで彩られた文 字 盤のジェムセッティングにより、 それぞれの作品が際立っている。また、マザーオブパー ルをあしらったものやサンバーストオパリンダイヤ ルなど 、文 字 盤 のバラエティは 豊 富 だ 。全てのモ デルは、プラチナ製回転ローターとサファイアケース バックを備える。ブランパンではレディバード誕生60周年 を記念し、さらにフェミニンな要素を加え、ジュエリー をあしらったチャーム付きの時計を発表した。ダイヤ モンドとルビーのオープンハートや、ダイヤモンドのソリッ ドハート、ダイヤモンドとルビーがスノーセッティング されたてんとう虫といったモチーフのチャームを揃え ている。その日の気分に合わせて自由自在に取り外し が可能。1本の時計に複数のチャームをつけることも できる。60周年記念モデルは、ダイヤモンドをアクセン トとして、繊細にエングレービングが施されたマザーオ ブパールの文字盤に、ピケセッティングのダイヤモンド と貴石から放射線状に広がる優美なソレイユ装飾が 施されたプラチナ製回転ローターを搭載する。レディ バードのストラップはアリゲーター、カーフスキン、サテ ンの3種類を備え、ダブルストラップのカーフスキンス トラップもスペシャルオーダーが可能だ。

Chapter 03

ゴンベッサ III 調査探検

南極大陸:荒涼とした氷の砂漠、そして生命にあふれた深海のオアシス…

このチャプターの著者

ローラン・バレスタ
ゴンベッサ III 調査探検
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