Chapter 6
高い強度、軽量、耐食性、耐摩耗性を兼ね備えた、 総合的に優れた素材。
ブランパンのケース製作工房である「ブランパン アビヤージュ」1においてチタンを加工する際の第一のルール、それは忍耐と丁寧さです。このルールを破ると、チタンはその優れた強度と耐久性にもかかわらず、加工中、一瞬にして爆発的に燃え上がるおそれがあります。
チタンという名称は、ギリシャ神話の巨人神ティターンに由来しています。この金属の発見者である2人のうちのひとり(発見者としてクレジットされている人物は2人います)が名付けたこの呼び名は、ギリシャの神々のような気まぐれさと加工の難しさを持つこの金属にふさわしい名称です。ドイツの化学者マルティン・ハインリッヒ・クラプロスがこの金属に「チタン(チタニウム)」と名付けたのは、当時はあまり知られていなかったその強度や耐久性からではなく、その安定性にちなんだものでした。2もうひとりの発見者は、独自に鉱物を研究していたウィリアム・グレゴールという人で、おそらくクラプロスより前の1791年にイギリスのコーンウォールで発見しています。聖職者にしてアマチュア鉱物学者でもあったグレゴールは、この金属に「メナカナイト」という名前を付けました。発見の時期としてはグレゴールのほうが早かったものの、クラプロスが付けた「チタン」という名前のほうが世の中に浸透していきました。
何より驚くのは、チタンが時計製造の世界に登場したのが比較的最近だということです。地球を構成する地殻の成分として9番目に多い元素で、自然の至るところに存在し、ほぼすべての生物に含まれているだけでなく、私たちは1日に平均0.8ミリグラムのチタンを摂取しているのです。存在は豊富であるものの、商業的に鉱石から抽出できるようになったのは、発見から1世紀半も経った1930年になってからでした。また、チタンを加工する方法が開発されるまでには、そこからさらに時間がかかりました。
チタンは、抽出や加工の難しさを克服しようという強い動機となる優れた特性を備えていました。その強度と密度の比はあらゆる金属の中で最も高く、低炭素鋼よりも強いのに45%も軽いのです。また、塩水に対する耐性など耐腐食性にも優れており、美しいシルバーの輝きを維持することもできます。さらに、皮膚に触れる用途において重要な、非アレルギー性という特性もあります。高い強度、軽量、耐食性、靭性、耐摩耗性などを兼ね備えた、総合的に優れた素材。つまり、スポーツウォッチに理想的な特性が揃っているのです。
1 ブランパンのケースとブレスレットは、スイス北部のバーゼル近郊の町、ドレモンにあるブランパンの工房で自社製造されています。この工房は社内では「ブランパン アビヤージュ(BlancpainHabillage)」と呼ばれています。
2 神話に描かれているティターン十二神とその父や子孫たちは、陰謀、策略、戦争に満ちた愛憎劇を繰り広げており、安定とは程遠い印象があるため、安定性にちなんだ名称というのは少し不思議な気もします。
チタンは外見的な美しさも備えているため、時計のケースやブレスレットに使いたくなりますが、ブランパンが初めてチタンを採用したのはムーブメントの部品として内部に使用するためでした。2006年に登場した新世代のムーブメントの第一弾となる、8日間のパワーリザーブを備えた手巻きムーブメント、キャリバー13R0ではテン輪にチタンを採用。軽量であることからエネルギーの消費量を抑えることができ、ロングパワーリザーブの実現に貢献しました。
もちろん次の段階として、ケースやブレスレットにもチタンが使われるようになりました。しかし、一口にチタン製と言っても、単に純チタンでパーツを作ればよいというものではありません。実は、純チタンはタイムピースに使うには理想的とは言えないのです。そこで、チタンの特性を強化するために、少量のアルミニウム(6%)と少量のバナジウム(4%)を加えます。3この合金は一般にグレード5と呼ばれるもので、人工関節などの医療用途に最適なことから、「メディカルグレード」と呼ばれることもあります。グレード5の上に位置するのが、グレード23またはエクストラ ローインクルージョン(ELI)と呼ばれるものです。その違いは純度で、グレード23は酸素の割合が少ないため、より純度が高くなります。グレード23に認定されるには、酸素の割合が最大でも0.13%を超えてはなりません。酸素量を減らすと金属の破壊靭性が向上するため、優れた強度、軽量性、耐食性、靭性により、最高の選択肢となるのです。そのような優れた性能を理由に、ブランパンはチタン製ケースを備えた最近の6つのモデルにグレード23を採用しています。すべてスポーツコレクションのモデルで、エアコマンド クロノグラフの2つのモデル(直径42.5mmと36mmの2種類)、バチスカーフの3つのモデル(コンプリートカレンダー ムーンフェイズ、クロノグラフ、オートマティック)、そしてフィフティ ファゾムス トゥールビヨンの計6モデルです。すべてのチタン製バチスカーフのモデルには、チタン製ブレスレットのオプションが用意されています。
チタンは非常に優れた特性を持っていますが、時計のケースやブレスレット製造での作業負担が大きい金属でもあります。硬度と靭性は最終製品にとっては望ましいものですが、スティールやゴールドに比べ、加工や研磨ははるかに難しくなります。ブランパンでは、他の金属のケースやブレスレットを製作するのと同じ工場でチタンケースも製作していますが、チタンの加工はプロセスはもちろん、使用する工作機械さえも異なります。まず、ケース本体の厚さに合わせて作られたチタン板から、ラグを含むケース本体の大まかな形状を高温でプレス加工します。この工程は、スティールやゴールドのケースで行われる工程の第一段階とは大きく異なります。他の金属で用いられるのは、低温でプレス加工を行う従来の方法です。高温プレス加工の詳細は、企業秘密として厳重に管理されており、そのパラメーターは極めて厳格に設定されています。温度や気圧、冷却時間、プレスツールまで、一つひとつが重要な役割を担っています。ざっくり説明すると、シートには複数回の処理が施され、所定の気圧内で加熱された後、冷却されます。冶金学者は、素材を調整するこの技法を「焼なまし(アニール)」と呼びます。これらの工程を経て、ラグが一体化したケースのラフな形ができあがります。
3 バナジウムはチタンと同じく遷移金属です。「遷移」とは元素の周期表における位置を示し、チタンとバナジウムは隣り合う列のそれぞれ一番上に位置しています。バナジウムは自然界に広く存在し、黒胡椒、貝類、パセリ、穀物など、さまざまなものに微量に含まれています。
チタン製のケースバックとベゼルは、それぞれ別の工程で製作されます。その工程では、部品はチタンの長い棒から削り出されますが、機械加工の品質を確保するために、やはりここでも加熱と冷却は不可欠です。焼なましを省略すると、変形の恐れがあるためです。
その後、ブランパン アビヤージュで行われる工程では、カットと焼なましの工程に匹敵する極めて高度なノウハウが求められます。ケース本体に施される最初の機械加工は、トゥルナージュ(円形彫り)と呼ばれます。回転する刃先は「彫刻刀」(ビュラン ア プラケット/burin àplaquetteと呼ばれます)のようなもので、切削加工を施すパーツによってフォルムが異なり、ケースを機械で回転させながら刃先をケースに押し付けていきます。大まかに言うと、100年以上前から用いられているコアケース加工に似た技法です。この最初の工程でケース本体の内径が加工されます。これは、その後の工程の基準点にもなります。この技法は、スティールやゴールド製のケース本体のトゥルナージュ加工にも似ていますが、チタンにはチタンならではの要求事項があります。1つ目は切削工具の冷却です。他の素材ではオイルスラリー(oil slurry)が使用されますが、チタンの場合、切削工具の発熱が大きいため、オイルスラリー(oil slurry)は向いていません。代わりに使われるのは水性エマルジョンです。それでも発火・爆発の危険性がなくなるわけではないため、チタン加工専用の工具には高性能の炎検知・消火安全装置が搭載されており、火災を防ぐためのシステムが瞬時に作動するようになっています。
ケースのデザインに応じて複数の加工段階があり、ケース本体の特定のパーツをつくる工程ごとに、独自の形状の切削チップが必要となります。また、各工程で求められる公差は極めて厳格です。これはブランパンの時計すべてに当てはまりますが、フィフティ ファゾムスやバチスカーフなどのダイバーズウォッチに求められる高度な防水性を実現する上では特に重要で、ケースバック、ベゼル、パッキンなどの接合には当然ながら高い精度が求められます。
加工はまだ続きます。重要な工程の1つが穴あけで、これはリューズとストラップのアタッチメントに施されます。エアコマンド クロノグラフでは、2つのクロノグラフプッシャー用の穴が追加されます。「フライス削りによるハウジングの作成(réalisation des logements par fraisage)」と呼ばれるこの加工には、トゥルナージュと同様の精度が求められます。急激な火炎や爆発に対して、同様の注意と特別な措置も必要です。
このように何段階ものトゥルナージュとフライス加工の後は、手仕事による細かな仕上げ、エングレービング、研磨が行われます。手仕事の一例として、ラグとケース本体の間にくっきりとした精密な境界をつくるために、伝統的な石のフライス工具を使用していることが挙げられます。ラグの外側と内側の両方に境界があるため、両面に作業を施す必要があります。境界部を慎重に石で削り、クリアなラインを形成しつつ、ラグの内側表面の平らで直線的な形状を維持することにも気を配らなければなりません。回転する砥石を備えたこの道具自体にも伝統が感じられます。ラグとケースの曲面との境界部をシャープに仕上げる作業は、ことさら膨大な手間と時間を要します。ケースとラグの境界部に丁寧な切削加工を施した後も、職人技を要する加工がいくつも続きます。次に行われる研磨は、ラグとケース本体の間につくられた精密なラインを損なわないよう手作業で丹念に行われます。
仕上げ作業、特に複雑な形状やさまざまなテクスチャーの仕上げは、スペシャリストの高度な技術を要する仕事です。チタン製のフィフティ ファゾムスのモデルでは、ケースの表面すべてにサテン仕上げが施されています。仕上げ職人にとっての課題は、ブラッシングの度合いと繊細なラインの方向に一貫性をもたせること。ラグとケースの境界部分にはさらに高度な熟練の技が求められます。先に切削された境界部のクリアなラインが損なわれることは、決してあってはなりません。
新しいチタン製エアコマンドの2つのモデルにも、職人の腕が問われる難しい加工が施されています。ラグの上面には、美しく磨き上げられた部分とサテン仕上げの部分があるのですが、その2つのクリアな境界線を維持し、配置を完璧に保たなければなりません。これを実現するには、片方のゾーンをプラスチックのカバーで保護した状態で、もう片方のゾーンを仕上げる必要があります。
回転ベゼルとケースバックには、さらに多くの工程が用いられます。回転ベゼルは、ダイバーズウォッチとアビエーションウォッチの両方に不可欠な機能です。ベゼルを回しやすくするためのローレット(ギザギザの加工)もデザインの一部となり、外側につける必要があります。すべてのベゼルには、目盛りを記したインサート(バチスカーフとエアコマンドのケースではセラミック製、フィフティ ファゾムストゥールビヨンのケースではふっくらと丸みのある「ボンベ」状のサファイアクリスタル製)が装備されるため、インサートを収めるための溝をつくる必要があります。トゥルナージュとは、溝を形成するための手法のことです。セラミックやサファイアのインサートと金属の溝を完璧にフィットさせる必要があるため、この加工の公差も非常に厳密です。また、ダイバーズウォッチのベゼルの裏側には、逆回転防止機構の一部を構成する、正確に配された極めて細かな歯があります。これらの歯はプレス加工によってベゼルに付けられます。
新モデルと同時に登場したのが、3つのバチスカーフとフィフティ ファゾムス トゥールビヨンのチタン製ブレスレットです。フィフティとバチスカーフで初となるグレード23のチタンを用いたブレスレットであるという点が目新しい一方で、デザイン自体は1990年代のブランパンを想わせる象徴的なスタイル。愛好家の皆さんなら、ひと目見ただけで、そのエレガンスと快適な着用感で知られるクラシックなスティール製71ブレスレットの特徴が踏襲されていることに、すぐにお気づきになるでしょう。