Chapter 9
ブランパンは、優れた執筆活動を 称える賞を設けました。
「なぜブランパンが文学賞を設立したの ですか?」 3年ほど前、若いジャーナリスト からこんな質問をされました。「高級腕時 計ブランドと文学に、どういう関係がある のですか?」たしかに少し直球気味な質 問だったかもしれません。そのジャーナリ ストは、不躾な質問をしてしまった、という 様子で、少し決まり悪そうにしていました が、私には彼女の意図するところがよくわ かりました。
それは、第 1回「ブランパン -イマジニスト文 学賞」の授賞式のすぐ後に開かれた記者 会見でのことでした。その場にいた他の多 くの記者たちも、同じことを聞きたかったに 違いありません。その会場には、文学・出版 を扱う記者たちと、時計その他のラグジュ アリーブランドのトレンドを追う記者たち が一堂に会していました。 2つの領域の記 者たちが同じ場所に集まるなんて、めった にないことです。なぜならこれまで、文学と ラグジュアリーが交わる機会そのものがな かったからです。ブランドが認知度を高め るために、多くのファンを持つ有名な映画 俳優やポップスターを起用するのは当たり 前になっていますし、コンテンポラリーな展 覧会、ダンスや演劇などのパフォーミング アーツのポスターに、大きなブランドロゴが 掲載されているのもよく目にします。ですが、 文学とラグジュアリーにはどんな関係が考 えられるでしょうか。文学は、控えめで静か な存在ですし、小説の表紙にはブランドロ ゴを載せるスペースはありません。大歓声 が沸き起こるアイドルのコンサートのような ライブシーンに比べると、文学は、真夜中 に遠くから聞こえてくるサヨナキドリの鳴き 声のように、はかなく寂しげで、おぼろげな イメージです。では、なぜブランパンは文学 賞を立ち上げたのでしょう?
「なぜブランパンが、ブランパン -イマジニ スト文学賞を設立したのですか?高級腕 時計ブランドと文学に、どういう関係があ るのですか?」ブランパンの文化アンバサ ダーであり、この文学賞の設立に協力した 出版社イマジニストのチーフコンサルタント でもある私としては、この質問にきちんとお 答えするのが筋だと思います。ただ、あの日 の私は少し驚いてしまって、このとても率 直な質問に、あの場ではうまくお答えする ことができませんでした。今回は、私が一 番好きな作家、マルセル・プルーストの話を しますが、なぜこの文脈で急にプルースト が出てきたのかについて説明する機会を 得て嬉しく思います。
ブランパン -イマジニスト文学賞は、文化の世 界と高級時計製造の世界を一体化させた中 国初の文学賞です。 2018年に設立されたブランパン -イマジニス ト文学賞は、中国でクリエイティビティを奨 励し、文学を促進することで、有望な才能を 持つ若き作家を発掘し支援することを目的と しています。
『失われた時を求めて』をじっくり読んだ ことがない方は、プルーストという名前を聞 くと、物思いに耽る、あの物悲しい顔をま ず思い浮かべるでしょう。プルーストの顔 が青白かったのは、病気がちだった(ずっ と呼吸器系の病を患っていた)ことも理由 のひとつですが、昼夜逆転した生活を送 り、防音室に閉じこもっていたからでした。 裕福な家庭に生まれた彼は、洗練されたセ ンスの持ち主で、立派な教育を受けていま した。若い頃は、有名な文学サロンに頻繁 に出入りしていましたが、年齢を重ねるう ち、俗世とは違う世界に身を置くようになり ました。皆さんも聞いたことがあると思いま すが、プルーストは、マドレーヌを口にした ことで蘇った記憶について書いています。 日曜の朝におやつを食べた幼い頃の記憶 を4ページも使って説明しているのです。 普通の人なら、4ページを読み終わる頃に は、マドレーヌを4つは食べ終えてしまうで しょう。過去に対してそんなにも敏感で、あ らゆる感覚を使って過去を蘇らせ、追体験 してしまうような人ですから、常人と同じ世 界に生きられるはずはありません。長い文 章、破綻したあらすじ、時間を飛び越えて 行き来する意識、深い芸術的思考。彼が 生涯をかけて執筆した不朽の作品は、現 代人の速いペースからは、永久に遅れを 取っていくでしょう。プルーストの本を読む と、まったく違う時間が流れる別の空間に 入ったかのように感じます。本を閉じて現 実世界に戻ると、速い・遅いの違いが何な のかわからなくなり、1秒が1日よりも長いこ ともある、ということに気づくのです。
プルーストと言えば、殻に閉じこもった内 向的な人物で、『戦争と平和』のような壮 大な歴史物語などは書かない作家、という のが典型的なイメージです。ところが、『失 われた時を求めて』をじっくり読んだ人な ら、その第三篇に描かれている、社会に対 する彼の鋭い観察が強く印象に残ってい るのではないでしょうか。そこでプルースト が描いているのは、かつてフランスの国論 を二分したドレフュス事件の話ですが、こ れは、人間社会に対するプルーストの分析 がよくわかる例です。ドレフュス事件と言え ば、反ユダヤ主義の邪悪さ、近代思想の 誕生、文豪エミール・ゾラがドレフュス事件 について書いた『私は弾劾する』が連想さ れます。若かりし頃のプルーストが、この論 争に深く関与していたというのは意外かも しれませんが、市民権運動に参加したり、 マニフェストを起草したり、ゾラの裁判を朝 から晩まで傍聴したりもしていました。しか しその後の小説の中では、その当時対立し ていた人々について、その行動の裏にある 動機、それぞれの意見の背後にある理由、 立場の不自然な変化などを掘り下げなが ら、冷静な意見を述べています。さらに重 要なことに、政治的・社会的な出来事に直 面すると、人々の根底にある価値観やイデ オロギー的立場があらわになり、家族や友 人同士が完全に分裂し、修復不可能な溝 ができてしまう場合があるということを、 プルーストは私たちに示しているのです。ま た、そうした出来事がその後の対人関係に どれほど影響するかについても言及してい ます。
つまり、世間知らずだと思われていたプル ーストが、実は、著書をほぼ丸々1冊使っ て、彼の時代に起きた最も重要な事件を 記録していたのです。そして、その記録がき わめて綿密であるという点が、文学に価値 をもたらし、優れた小説を注目すべき存在 にし、プルーストを尊敬に値する存在にし ています。もちろんそれは、直接的に伝える ジャーナリズムではなく、完全に再構築さ れたものです。深く考え抜かれ、綿密に組 み立てられたこの小説は、19世紀末のフラ ンスの姿をありありと伝えているだけでな く、私たちがいる現代社会の姿をも見せて くれます。ここ数年に世界で起きたことに ついて、あるいは友人同士を対立させた出 来事や父と息子の仲を引き裂いた出来事 について理解したい人は、『失われた時を 求めて』を読むことを、少なくともこの小説 の第三篇を読むことをお勧めします。
「なぜブランパンは、ブランパン-イマジニ スト文学賞を設立したのですか?高級腕 時計ブランドと文学に、どういう関係があ るのですか?」でしたね。すっかり夢中にな ってしまいました。この質問をされて、なぜプ ルーストが出てきたのか。その理由は、プル ーストの中に文学と時間との関係性を見 たからです。小説家たちは完全に孤立して 生きているわけではないので、彼らの生い 立ちや体験は作品に否応なく反映されま す。そのため私たちは、小説の中にその時 代の印を読み取ろうとしてしまいます。しか し、プルーストがかつて言っていたように、 小説家の生い立ちとその人の作品をイコ ールで考えることはできません。なぜなら 「1冊の本は、もうひとりの自分の産物」だ からです。小説は、時間や空間の制約を無 効にし、時空を飛び超えることができます。 『失われた時を求めて』は、まさにそういう 作品ではないでしょうか。この小説が19世 紀後半から20世紀初頭のフランスを描い たものであることは間違いありません が、21世紀初頭に生きる私たちにも通じる ものがあります。これは、記憶と時間に関す る本です。つまり、ある意味、時間を超えた 本なのです。そういう面で、小説は時計とよ く似ていませんか?
深夜、静かに書斎の椅子に腰掛け、ブラン パンの腕時計の文字盤の上をなめらかに 動く美しい秒針を見つめながら、その音に 耳を傾けていると、時計というのは本当に 素晴らしいオブジェだとしみじみ思うこと があります。時計は、過ぎていく時間をコン スタントに刻み続けています。それはまるで 時間の流れには属さず、時代や歴史を超 えた、普遍的で客観的な存在であるかのよ うです。とはいえ、時代の産物であることも 確かです。製造された時代が違えば、その テクノロジーもスタイルも異なります。その ため、古い時計を見れば、その時代ならで はの特徴が見られ、さらには当時の職人た ちが息を止め、慎重に部品を組み立ててい る姿さえも想像することができます。正真 正銘の高級腕時計がいまなお私に語りか け、刻々と過ぎゆく私の時間を刻み続け、 私に未来があることさえも思い出させてく れることには、感銘を覚えます。歴史上の 特定の時代に属するものでありながら、時 代を超えてもいる。時計は、時間の中にあ ると同時に、時間を超えた存在。永遠と現 在が交差する場所に存在しているのです。
当然ながら、ジャーナリストの質問に対し て、こんなふうに答えたわけではありませ ん。もしこんな答えを返していたら、どれだ けの人がこんな、まどろっこしい説明に耐 え、「ブランパンはある意味プルーストにた とえられる」などという私の突飛な提案を 受け入れることができたでしょうか。私たち はもはや、そんなに我慢強くはありません。 それどころか、インターネットに投稿された 2分間の動画さえ、長過ぎると感じる時代 です。こういう話をすると、1980年代を思い 出します。中国が改革開放政策に乗り出し た直後、テレビはまだ人気が出始めたばか りで、読書が娯楽の主流でした。当時は、 現在最も人気の高いSF小説と同じように、 ジャン=ポール・サルトルの『存在と無』が 何万部も売れていたのです。中国で、想像 力に富んだ勇気ある作家、例えば中国初の 文学賞を受賞した莫言(MO Yan)をはじ め、余華(YU Hua)、蘇童(SU Tong)、西川 (Xi Chuan)、北島(Bei Dao)、残雪(Can Xue)、格非(Ge Fei)、阿来(A Lai)、王安憶 (WANG Anyi)、閻連科(YAN Lianke)な どが登場したのも、その時代でした。中国 の文学界の形成を担ったこれらの作家た ちは、今なお、世界中の文学ファンの間で よく知られています。彼らは全員、80年代に 偉業を成し遂げ、確固たる評判を築いただ けでなく、多くの読者を魅了してきました。 中国のどこかの都市の街頭で、現代作家 をどれだけ知っているかと尋ねたら、今で も上記の有名作家たちの名前が挙がるで しょう。
何が言いたいかというと、もちろん今も、真 剣に執筆に取り組んでいる作家はいます し、それを丁寧に読んでいる読者もいます。 しかも、上記の作家たちよりもずっと若い 世代ながら、文学的偉業を成し遂げてい る作家や、新しいスタイルで、先人たちに引 けを取らないような卓越した作品を生み出 している作家もいます。とはいえ、先に述べ たように、時代は変わり、真面目な小説家 の評判は、その日に食べたディナーをSNS で自慢しているネット上のセレブリティの 人気にはかなわないのです。文学作品にこ だわるなら、称賛や印税はそれほど得られ ないということを受け入れなければなりま せん。その作品がどれほど優れていても、 先人たちのような大きな名声や富を得るチ ャンスはありません。ですが、正直なところ、 今の状況のほうが私はいいと思っていま す。なぜなら、純文学が冷遇されている時 代だからこそ、結果がどうなるか、どんな将 来が待ち受けているかわからなくても、ひ たすら書きたいから書いているのだ、作家 になるのは自分の運命なんだ、と証明でき るからです。もちろん道半ばで諦め、作家 になる夢を抱きながらアマチュアで終わっ た若い作家の卵もたくさんいました。彼ら は、誘惑に負け、最後には夢が叶うというこ とを信じる力が足りなかったのです。彼ら には、病院のベッドで最期の瞬間まで、最 期の本の原稿を執筆していたプルーストの ような執念に欠けていたのです。とはいえ 彼らを責めるつもりはまったくありません。 なぜなら実際、次のプルーストになりたい と考え、すべてを犠牲にした挙げ句、誰も 手に取らない古本の山に消えていった人 も数多くいるからです。
では、なぜこの文学賞を実施する必要があ るのでしょうか?次のプルーストを探してい ると言えば、大げさかもしれません。です が、応募条件として45歳までという年齢制 限を設け、書き続ける能力があることを基 本条件にしたのは、作家の皆さんに、あな たは独りではない、あなたの存在に気付き、 理解している人がいる、と伝えるためです。 それは、レース中のマラソンランナーが、道 端で声援を送り、コップ一杯の水を提供し てくれる人を見つけるようなものです。今後 どうなるかは、誰にもわかりません。この折 り返し地点を通過し、前の世代からバトン を引き継ぐ人が現れ、作品の中に今の時 代を記録し、美しく輝く琥珀のように、千年 の時を経て、別の世界で光り輝く作品を生 み出すかもしれません。千年後なんて、遠く を見すぎているでしょうか。でも思い出して ください。中国文学には、最古の詩集『詩 経』に始まり、三千年以上もの間受け継が れてきた長い伝統があります。最初の詩を 詠んだ人物は、何千年も後の世界の人々 が、自分の言葉に気づきを見出すなどとは 考えてもいなかったでしょう。それはプルー ストも同じです。彼も21世紀の人が、自分 の小説の中に世界を見出そうとするとは思 ってもいなかったはずです。ブランパンの良 さを知っている皆さんなら、私が意味する ところをご理解いただけると思います。およ そ三百年前、ジャン-ジャック・ブランパン がブランドを創設した当時、彼は自分が後 世に何を残すことになるのか、明確に分か っていたでしょうか。その後三百年の間、 様々な変化を生き抜いてきた各世代の経 営者たちは、自分たちが何を守っているの か分かっていたでしょうか。ブランパンはな ぜ、機械式の時計にこだわっているのでしょ うか。なぜ、もっと簡単で楽な道を選ばない のでしょうか。ブランパンもまた、文学に真 剣に向き合い、繊細な味わいを大切にし、 情熱を捧げ、運命を貫こうとする各世代の 作家たちと同じなのではないかと思います。 孤独を怖れず、粛々と、確固たる覚悟をも って取り組み続けているのです。
「なぜブランパンが、ブランパン -イマジニ スト文学賞を設立したのですか?高級腕 時計ブランドと文学に、どういう関係があ るのですか?」この質問に一文で答えるな ら、私はこう言うでしょう。「これは、三百年 の伝統から、三千年の伝統への敬意の印 です」と。高級腕時計ブランドと文学は、時 代に刻み込まれていると同時に、時代を超 えて、お互いの中にその存在を見出してい ます。