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Chapter 10

マルティン・ ベラサテギ

ミシュラン星 12回獲得シェフ、マルティン・ベラサテギへのインタビュー。

このチャプターの著者

ダビド・デ・ジョルジ

このチャプターの著者

ダビド・デ・ジョルジ
マルティン・ ベラサテギ
マルティン・ ベラサテギ
Issue 21 Chapter 10
ラサルテにある自身のレストランの厨房 に立つマルティン・ベラサテギ。ブランパン のフィフティ ファゾムスを愛用。

ラサルテにある自身のレストランの厨房 に立つマルティン・ベラサテギ。ブランパン のフィフティ ファゾムスを愛用。

コミュニケーションの手段として火を使い、 独創的な演出で人々を楽しませるマルティ ン・ベラサテギ(1960年生まれ)。誇張、思 慮深さ、慎ましさ、まろやかさ、爆発するよ うな強烈な味わい、かすかな芳香など、一 皿一皿異なる多彩な表現を用いる彼は、 まるで色彩と質量をもつ繊細なフィルムの ような、美しい料理を紡ぎ出します。

マルティン・ベラサテギ(以下MB): 私は、 サン・セバスティアンの旧市街に近い、カ ジェ・へネラル・エチャグエで生まれました。 両親は「ボデゴン・アレハンドロ(Bodegón Alejandro)」という人気のレストランを経営 しており、私たち家族はほとんどの時間を そこで過ごしていました。学校が終わると すぐに両親の店に行き、母やおばとともに 昼食や夕食を取り、家には寝に帰るだけとい う毎日でした。

ダビド・デ・ホルヘ(以下DJ): 思い入れの ある、特別な場所ですね。

MB: ええ、そのとおりです。あの店は私たち の遊び場であり、大人たちの会話を聞い て、人生とはどういうものかを学ぶ場所で もありました。バスクの文化や社会に触れ られる、私にとっては小さな大学のような ものでしたね。父は地元の食材にこだわる 精肉業を営み、趣味嗜好の合う仲間を集 めるのが得意な人でした。とはいえ、料理 は好きではなかったようで、いつもレストラ ンのダイニングルームにいました。父は場 の空気を和ませるのがうまい人でしたね。 店には有名な詩人やバスク・ペロタの選 手、魚屋、パン屋、学生、高校の先生など、 さまざまな人が来ては食事を楽しんでいま した。地元に本拠地を置くプロサッカーク ラブ、レアル・ソシエダの選手たちも来てい ましたよ。まったく異なるタイプのお客さん 同士がつながる、今ではなかなか見られ ないようなユニークな店でしたね。母ガブ リエラとおばのマリアは厨房とダイニングル ームを常に行ったり来たりして、お客さん の相手をしたり、私たちの世話をしてくれ ていました。母たちには本当に感謝してい ます。

DJ: 料理はご両親のお店以外でも修行さ れていますよね?

MB: 17歳のとき、ボート競技のフランス代 表チームに所属しているローラン・イラズス タという選手に出会いましてね。その人が、 厨房設備を販売する仕事をしていたので、 ホテル業界に知り合いはいないかと尋ねる と、ちょうどフランスのペストリーショップ に厨房設備を納める予定があると。そのつ てを辿って、ジャン=ポール・エイナールの 店で修行を始めました。その後、アンドレ・ マンディオンと出会い、彼の店でも修行をし ました。さらにそのつながりから、ダニエル・ ジローなどの料理人とも知り合いました。 フランソワ・ブルシカンとともにシャルキュト リーの世界も探求しました。フランソワとは、 一緒によく色々なイベントに行きましたよ。 彼とは気が合ってね。ある日、彼がおごって くれと言うので、代わりに彼の友人の一人 が開いた新しいレストランに連れて行って くれと頼みました。それが、かつてミシェル・ ゲラール(Michel Guérard)で料理長を 務めていたディディエ・ウディルの「パン、ア デュール・エ・ファンテジ(Pain, Adour et Fantaisie)」でした。私の料理にとって、この 出会いは非常に大きかったですね。バスク 人シェフの中で大きな影響を受けたのは、 オイアルツンにある「スベロア(Zuberoa)」 のイラリオ・アルベライツでした。彼らとは 今も親しくしています。

DJ: ペストリーシェフとしての最初の修行 が今に活きていると思うことありますか?

MB: ええ、もちろん。ペストリーのシェフは、 即興はほとんどせず、すべてきっちり計算す る傾向にあります。何かを作るとなれば、途 中のプロセスで実験をしますが、いったん 答えを見つけると、その材料の重さや開発 プロセスを細かく記録します。私もいまだに 事細かに記録しているので、参照用のノー トがたくさんあります。それによって私のチ ームは、私が何を求めているのかを明確に 把握できるのです。

DJ: あなたはヌエバ・コシーナ・バスカ(新 バスク料理運動) 1を提唱した他のシェフ たちよりもお若いですが、どのような経緯 で参加されたんですか?

MB: 私は、この運動の第一人者であるフア ン・マリ・アルサックの19歳下で、グループ のその他のシェフたちよりも12歳下です。 当時の私は若く、エネルギーに満ちあふれ ていました。シェフになると決めた私を止め る人は誰もいませんでした。両親の店「ボ デゴン」は常に満席で、私を含む厨房で働 く料理人たちも、店のスタッフは皆、まさに マラソンのようにずっと忙しく働いていまし た。多くの人に一日中料理を提供し続ける という環境にも慣れ、料理人という職業が 好きでした。常に自分に厳しく、自分に期待 していましたし、自らが選んだ道で行けると ころまで行こうと決意していました。両親が 築き上げたものに大きな誇りを感じていた 一方で、両親を超えなければならない、と も思っていました。そうして私は一歩ずつ 着実に学んでいったのです。やる気に満ち ていた私はいつも、もっと腕を磨かなけれ ば、と考えていました。勝利を求めて常に 努力するアスリートのようにね。私はボデゴ ンの階段の下にベッドを置き、夜明けとと もに起き、国境を超えてフランスに勉強し に行きました。私は覚悟を決めていました し、家族経営のレストランという環境の中 で、厳しい基準に対応できるよう育てられ てきたんですね。

¹ 1980年代に起きた料理運動。バスク料理を復活させ、 徐々にスペイン全土に広がっていった革新的料理の 基盤を築いた。

 

時計製造の芸術と暮らしの芸術: どちらも卓越の伝統です

一見すると、「美食」と「時計製造」は大きく かけ離れた、まったく異なる世界に思え るかもしれません。ところがブランパンは 40年にわたり、多くのセレブリティ・シェフ と強い絆を築いてきました。この絆は、2つ の業界が決して相容れないものではない ことを証明しているだけでなく、実は多くの 共通点があるということを示しています。

これまで約50年の間に関係を築いてきた 錚々たる面々の有名シェフたちが、私たち の誌面あるいは料理本に登場しています: (敬称略)フレディ・ジラルデ(『ゴ・エ・ミヨ』 が「世紀の料理人」と呼んだ2名のシェフの うちのひとり)、ジョエル・ロブション(もうひ とりの「世紀の料理人」)、マルク・エーベル ラン、ミッシェル・トロワグロ、ギィ・サヴォワ、 フィリップ・ロシャ、ブノワ・ヴィオリエ、ジャッ ク・ラムロワーズ、エリック・プラ、ミシェル・ ロスタン、アンヌ=ソフィー・ピック、アルノー・ ラルマン、ダニエル・フム、ジェラール・ラベ イ、フィリップ・シェブリエ、ステファン・デコ テール、アントニオ&ナディア・サンティー ニ、エドガー・ボヴィエ、ヘールト・ヴァンヘッ ケ、髙橋義弘、董振祥(ドン・ジェンシアン)、 陳恩德(チャン・ヤン・タク)。実に100人 を超えるこれらミシュランの星を獲得した シェフたちとのつながりに加え、ブランパン は長年にわたり、世界最高峰の料理コンテ スト「ボキューズ・ドール」の後援を行って きました。また、『ミシュランガイド』の支援 も行っています。

では、高級時計製造と美食との共通性は どこにあるのでしょう。実は、さまざまな要 素に見ることができます。完璧を求める飽 くなき追求、細かなディテールへのこだわ り、技への専念、芸術的才能、「暮らしの芸 術」を大切にする心。どちらの世界におい ても、これらの要素が大きな意味を持ち、 そこには共通の価値観があります。お互い への理解と尊敬が深まるのは、自然な流れ と言えるでしょう。

今号でブランパンがスポットを当てるのは、 ミシュラン星 12つ星を獲得した料理界の巨匠 のひとり、マルティン・ベラサテギ氏です。彼 は長年のブランパン・コレクターでもありま す。ラサルテ=オリア(スペイン、バスク州 ギプスコア県)にあるベラサテギ氏の旗艦 レストランや世界各地で人々に愛されてい るその他のレストランが再開できる日を楽 しみに待ちながら、今回は、ベラサテギ氏 の独占インタビューをお届けしたいと思い ます。インタビュアーを務めたのは、スペイ ンで活躍するTVパーソナリティ兼料理人 であるダビド・デ・ホルヘ氏です。

マルティン・ ベラサテギ
マルティン・ ベラサテギ
マルティン・ ベラサテギ

If a guest is satisfied with what I offer, THEN I AM TOO.

DJ: その後、店を継いだのですか?

MB: 21歳になって、両親とおばに、今後も ここで働くからには、しっかり店を継いで成 功させると告げました。両親たちは賛成して くれて、できる限りのサポートをしてくれまし た。私にとっては大きなチャンスでした。そ こでまず手掛けたのは厨房の改装です。当 時は、のちに妻となるオネカ・アレッギも私 の隣に立って仕事をしていました。ラサルテ のレストランでは、お客様はダイニングルー ムを動き回るオネカの姿をご覧になってい るので、あまり知られていませんが、私たち は二人とも厨房で奮闘していたんですよ。 その頃ですね、ダイニングルームへの配慮 の重要性に気づいたのは。細かいところま で熟慮し、私たちが提供している料理を反 映した、コンテンポラリーなスタイルに改装 しました。銀行に融資を申し込みに行った のですが、私はまだ若かったので、両親が 保証人になる旨を記した文書を提出すれ ば問題ないだろうと言われました。すでに 引退していた両親に迷惑をかけたくない、 これは自分のビジネスなので、すべて自分の 責任でやりたいと答えたのですが、銀行を出 るときには、何もかもが嫌になってしまって。 まだ出港もしていないのに船が沈んでいくよ うな気分でした。そのとき助けてくれたの は、イゲルドにいるエウセビオでした。エウセ ビオというのは、うちに羊のミルクやトマト やレタスを供給してくれていた農園主で、も う亡くなりましたが、私の不平不満を聞き、 保証人になってくれたんです。一緒に銀行 に行って、支配人に必要な額を融資するよ う頼んでくれました。母がそのことを知った のは、何年か後のことだったようです。

DJ: そんなふうに始まったわけですね?

MB: はい。その少し後、24歳のとき、ミシュ ランの1つ星を獲得しました。本当に驚きま した。というのも「ボデゴン」はまだ地下に あって、入店するのに28段もの階段を降り なければなりませんでした。地下のレストラ ンに星が与えられるなんて、前代未聞でし たからね。そんな立地上の制約はありまし たが、星を獲得できたことは大きな自信に つながりました。

DJ: シェフの運動に参加したのはその頃 ですか?

MB: いえ、違います。新バスク料理運動 のシェフたちは、私のお手本でした。シェフ という職業に尊厳をもたらすという偉業を 成し遂げた方々だからです。その運動に参 加したのは、もう少し後のことです。当時 はルイス・イリサールに傾倒していました。 ルイス・イリサールは、私のメンターであり、 良い料理人になるには、情熱をもってその 仕事を愛し、一貫性をもって、どんな辛いこ とにも耐えられなければならない、というこ とを教えてくれた人物です。皆が祝ってい るときは、まるで自分自身を祝うかのような 仕事をする。仕事に関するこの一文は、私 の両親の働き方にも通じるものがありま す。その後、私に起きたさまざまな出来事 の出発点となったのが、バスクのビトリア・ ガステイスにあるレストラン「サルディアラン (Zaldiarán)」で開催された「ホルナダス・ ガストロノミカス」でした。私は若手シェフと して登場し、大きな成功を収めました。新 聞には「バラサテギの勝利」という見出しの 記事や好意的なコメントが掲載されまし た。そこから私はメディアに露出するように なったのですが、私としては、仕事のプラス アルファの部分だと考えていました。という のは、料理人としての人生で最も大切なの は、確固たる基盤の上に知識を積み上げ ていくことだと考えていたからです。アラン・ デュカスと出会ったのはそのときでした。今 は国際的に知られるシェフですが、当時は そこまで有名ではありませんでした。彼は フランス南西端の街サン=ジャン・ド・リュ ズにあるグランドホテルに滞在していて、よ く私の店にランチを食べに来てくれて。そ れがきっかけで仲良くなりました。

DJ: ここでまた、フランスとのつながりが!

MB: 料理というのは、さまざまな経験の積 み重ねであり、人間としての確固たる基盤 の上に構築されるものだと思っています。さ きほども申し上げたとおり、結局のところ、 どれだけ努力を重ねたかが重要なんです。 それが犠牲を伴うものだとしても、終わりな き階段を登らなければならないとしても、 自分の想いを実現しなければなりません。 私にとって、フランスでの経験に負うところ は大きいですね。

DJ: 今も考え方は変わっていませんか?

MB: まったく変わっていません。今も長い 階段を1段ずつ登らなければならない、と 考えています。この世界に入って46年にな りますが、今は自分がこれだと納得できる ことをしなければならないと思っています。 例えば、テストを重ね、新しいレシピをたく さん考案し、遺産として残したいと考えてい ます。これは料理界に新たな形をもたらす ための、私なりのささやかな貢献です。何 年も前に作った料理とはほとんど関連性 がなく、2年前に提供した料理とも違う。と 言っても実際には、すべて以前に作ったも のからの流れであって、論理上の進化でし かないわけですが。それは仕方ないです ね。今の私には幅広い経験があり、大所帯 の素晴らしいチームがいる。彼らのおかげ で気心の知れた仲間に囲まれて仕事がで きています。

レシピ オリーブの冷菜

オリーブフィリングの材料:
「Agrucapers」グリーンオリーブソース 1L
トマトウォーター 1L
キサンタンガム 13g

材料を混ぜ、ミキサーで撹拌します。
目の細かいこし器でこします。
真空マシンで空気を抜きます。
オリーブの形をしたシリコン型に、こした液体を縁いっぱいまで流し込みます。
冷凍庫で冷やし固め、そのまま置いておきます。

オリーブバターの材料:
「Pacari」カカオバター 1kg
フリーズドライのオリーブペースト 150g

90°Cでバターを溶かし、フリーズドライのオリーブペーストを加えます。
ミキサーで撹拌します。
こし器でこします。

オリーブのコーティング
先ほど凍らせたオリーブを取り出します。
約15x15cmのポリスチレンの型の曲面に、9本のピック(長さ10cm、ディップしや すくするため)を置きます。
凍らせたオリーブを、それぞれのピックにカーブした面から刺します。
オリーブにピックを刺し終えたら、しっかり固定されるように、冷凍庫で10〜15分 冷やし固めます。
凍らせたオリーブのもう一方の半球を、ピックを刺したオリーブの平らな面の上に 置き、半球同士を貼り合わせます。
再び冷凍庫に戻し、ディップする過程でずれないよう、半球同士をしっかりと貼り 付けるために10〜15分冷やし固めます。

この作業を行った後、凍らせた9個のオリーブが入る大きさの鍋で、オリーブバタ ーを85°Cに熱します。
不純物があれば取り除き、バターが泡立ってきたらディップを始めます。
手で型を持ち、オリーブを完全に浸します。すばやく取り出し、鍋をひっくりかえし て、付きすぎたバターをテーブルに振るい落とします。
バターが固まる前に、小さなナイフでバターのしずくを取り除きます。
耐油紙を敷いたトレーの上に置き、冷蔵庫で解凍します。

オリーブジュースの材料:
「Agrucapers」グリーンオリーブソース 0.5L
トマトウォーター 1.5L
キサンタンガム 4g

オリーブソースをチーズクロス(目の粗い綿ガーゼ)でこします。
こした液体をトマトウォーターと混ぜ合わせます。キサンタンガムを加えてとろみ を付けます。
混ぜた液体を冷やします。

飾り付け・盛り付け
深めのお皿の底にオリーブジュース15mlを注ぎ入れ、先ほどのコーティングした オリーブを冷蔵庫から取り出し、ジュースの上に盛り付けます。彩りに若葉を添え ます。薄くスライスしたブラックオリーブ・ブレッドを添えて、完成です。

マルティン・ ベラサテギ

私の最大の資質は、自分の味覚 であり、チームの仲間との絆です。 自分たちが最高だと思えることは お客様も同じように感じてくださいます。

DJ: そうした活動の最終的な目標は?

MB: さらなる幸せ、でしょうか。お金では決 して解決できない問題というのがあります よね。料理が良くなれば良くなるほど、満足 感が高まります。私のテイスティングメニュ ーをお客様に喜んでいただけるだけで、私 は十分に幸せを感じられます。お出しした 料理をお客様にご満足いただけたなら、私 も満足です。これが私の人生であり、私の ビジネスのやり方なんです。一年前にやっ たことを、ただ繰り返すことはしません。お 客様がアメリカの方であろうと、アジア、オセ アニア、世界中のどこから来られた方であろ うと、お金を貯めて、自分たちのご褒美に豪 華な食事を楽しみにやってきた若いカップ ルであろうと、私は今の自分を表現したも のを提供したいんです。何年も前の自分を 表現したものではなくてね。

DJ: それをどのように実現しているのです か?

MB: ご贔屓にしてくださるお客様を持つこ とは大切です。しかし、何より大きな資産 は、自分の味覚です。舌は裏切らない。自分 の最大の強みは何かと聞かれたら、勤勉さ や長いキャリア、などとは答えないでしょう。 私の最大の資質は、自分の味覚であり、チ ームの仲間との絆です。自分たちが最高だ と思えることは、お客様も同じように感じて くださるんですよ。

メルルーサのタコス、 イベリコ豚パパダの灰、フェンネルシード、 Begi haundiスープ

メルルーサのタコス、 イベリコ豚パパダの灰、フェンネルシード、 Begi haundiスープ

セップ茸のインフュージョン、 卵黄と乾燥させたサクサクのハーブとマリネ

セップ茸のインフュージョン、 卵黄と乾燥させたサクサクのハーブとマリネ

DJ: ご自身の好きな食べ物はなんです か?

MB: 私は、個性のある特別な食べ物が好 きです。例えばイベリコ豚のハムやメルル ーサのココチャス(白身魚の下あごの肉)な どです。色々な調理法がありますが、砂糖 を絡めたもの、ソース煮込み、フライといっ た伝統的なスタイルが好みです。野菜も好 きですね。子羊肉を使った料理も食欲をそ そられます。イシビラメも最高です。旬に出 回るリーキやサヤエンドウ、ポチャ豆、やわ らかいライ豆、イカの墨煮、ジビエのシチュ ーなんかも好きですね……。

DJ: これまでに獲得された賞についてはど のようにお考えですか?

MB: 2001年、ミシュラン 3つ星獲得の知ら せを聞いたとき、私たちは厨房のテーブル にいました。あまりの驚きに、その夜は一睡 もできませんでした。夜明けに外に出て、サ ン・セバスティアンの街を独りで 2周しまし たよ。プロの料理人としては申し分のない 栄誉です。個人として特に感動したの は、2005年に自分の故郷の街からいた だいた「ゴールデン・ドラム」アワードです。サ ン・セバスティアンは世界で最も美しい街 であり、私が生まれ育った街であり、家族 や友人たちが暮らす街です。そのベストア ンバサダーに選ばれたことは、言葉では表 せないほど嬉しかったです。

DJ: シェフが芸術家と捉えられることにつ いては、どう思われますか?

MB: 料理人はあくまでも料理人です。料理 を芸術と捉える方がいらっしゃるとすれ ば、その捉え方を尊重はしますが、個人的 にはあまり興味がないので、そのことに時 間を費やそうとは思いません。私は自分の 職業に大きな誇りを持っていますので、建 築家、彫刻家、画家、工芸作家、バグパイ プの演奏家になる必要はありませんから。 それは他の方々にお任せします。私は毎朝 エプロンを着ける。それで満足です。

キャビア「Ars Italica」を のせたホタテ貝、パセリとチャイブの グリーンソースの上に

キャビア「Ars Italica」を のせたホタテ貝、パセリとチャイブの グリーンソースの上に

レモンに添えたバジルソース、 さやいんげん、アーモンドミルク

レモンに添えたバジルソース、 さやいんげん、アーモンドミルク

DJ: 食材やサプライヤーについてはどのよ うなお考えをお持ちですか?

MB: 食材は、料理人が一番に考えなけれ ばならないことです。私は、通常の市場で は手に入らないような優れた品質の野菜 を求めています。私には、私が必要としてい るものを提供してくれる専門のサプライヤ ーがいます。生産者のところに自分の足で 出向き、どんなふうに育っているのかを観 察することが大切です。彼らは専門知識が 豊富で、最高のアドバイザーですからね。 私たちはあらゆる素材の良さを最大限に 引き出すことに細心の注意を払わなけれ ばなりません。料理人が最初に取り組むべ き仕事は、卓越したレベルを目指して、たゆ まぬ努力を重ねることです。私のレストラン は普通の場所ではありません。並外れた 料理を求めてお越しくださるお客様のため に、格別の食材が必要なのです。

DJ: ということは、まず食材ありきというこ とでしょうか?

MB: そのとおりです。例えば、地元で採れ た素晴らしいリンゴが手に入れば、それを 活かせるように、農家の方々が大切に育て た他の食材を組み合わせながら、レシピを 考案します。

DJ: バスク料理とはどのようなものでしょ うか?

MB: バスク料理を定義するものは、食材と 特定のノウハウです。口に入れた瞬間に、 バスク料理か、まったく違うものか、すぐわ かるほどの違いがあります。うまく説明でき ませんが、そこには記憶、感覚、匂い、バス ク人の気質、そして、この風土の神秘的な 魅力が詰まっています。海外から戻ってく るたびに、この土地ならではの香りがある ことに気付きます。他の地方から来た人も きっと同じことを言うでしょう。あらゆる部 分にバスクならではの個性がはっきりと感 じられると。

DJ: 最後に、今後のことをお聞かせくださ い。

MB: 私の領域は料理であり、今後もそれ は変わらないでしょう。シェフという仕事は 私の最優先事項であり、自分ができると思 う限り現役を続けられる基盤もあります。 今、シェフの需要が高く、多国籍企業や個 人投資家を対象にプロジェクト管理に関す る助言をしていますが、その仕事も楽しいで すね。ある意味、私たちは新しいアイデアの 創出者です。ですから、例えばブランパンな ど、ソウルメイトのように感じられる主要ブ ランドのために表現することも好きです。で すが、基本的には、あくまでも料理人という 職業にこだわり、この仕事を追求していき たいと思っています。ずっと笑顔でいられる のは、自分が料理人であるという事実があ るからです。昨日よりもいいものを作りたい と思っています。人生は何が起きるかわか りません。今はかなり厳しい状況ではあり ますが、私は非常に楽観的で、未来に希望 を抱いています。今後も、妻のオネカ、娘の アネ、娘の夫ホセと共に、人生を楽しんでい きたいと思っています。

ラサルテにある 自身のレストランのダイニング ルームでのベラサテギ氏。 ブランパン ヴィルレの時計は私物。

ラサルテにある 自身のレストランのダイニング ルームでのベラサテギ氏。 ブランパン ヴィルレの時計は私物。

レストラン「マルティン・ ベラサテギ」の前室。

レストラン「マルティン・ ベラサテギ」の前室。


PUBLISHER
Blancpain SA
Le Rocher 12
1348 Le Brassus, Switzerland
Tel.: +41 21 796 36 36
www.blancpain.com
www.blancpain-ocean-commitment.com
info@blancpain.com


EDITORIAL COMMITTEE
Marc A. Hayek
Andrea Caputo
Christel Räber Beccia
Jeffrey S. Kingston


PROJECT MANAGEMENT
Christel Räber Beccia


EDITORS IN CHIEF
Christel Räber Beccia
Jeffrey S. Kingston


CONTRIBUTORS TO THIS ISSUE 
David de Jorge
Jeffrey S. Kingston
Leila Mansour
Leung Mantao
Roger Rüegger


TRANSLATION
Ubiqus


PROOFREADING
Yuri Nakajima
Ubiqus

 

GRAPHIC DESIGN. LAYOUT
Tatin Design Enterprises GmbH
www.tde.tatin.info


ART DIRECTION
Marie-Anne Räber
Oliver Mayer


PHOTOLITHOGRAPHY
Sturm AG, Muttenz, Switzerland


WATCH PHOTOGRAPHY
Joël von Allmen
Renaud Kritzinger
Blancpain 


OTHER PHOTOGRAPHY, ILLUSTRATIONS
Laurent Ballesta
Lisa Besset
Tim Carl
Bret Curry
Gari Diaz
Belen Ferro
Fiechter family
Harald Hois
Renaud Kritzinger
José Luis López de Zubiría
Thomas Pavy
Donna Reid
Roger Rüegger
Bert van der Waal
Dominique Weibel
Blancpain

発売日: 2021年9月

 

マルティン・ ベラサテギ

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