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Chapter 9

ピエール・ エルメ

フランス菓子の頂点に君臨するのは、 絶大な人気を誇るピエール·エルメのマカロンです。

このチャプターの著者

ジェフリー・S・キングストン

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ジェフリー・S・キングストン
ピエール・ エルメ
ピエール・ エルメ
Issue 23 Chapter 9

ほんの少し口に入れただけでその瞬間を支配することなんて、そうそうありません。

食の世界において、昔ながらの定番料理には「これぞ決定版」という究極のレシピは存在するのでしょうか?例えば、ラタトゥイユと呼ばれる料理を例にとってみましょう。すべての材料を一度に鍋に入れて煮込む派?トマトの皮は剥く?剥かない?パプリカはロースト派?それともソテー派?ビネガーは入れる?入れない?人によって作り方が少しずつ違い、様々な党派に分かれます。ちなみに私自身は、食材を別々に調理していく派です。

では、マカロンはどうでしょう?マカロンにも同じような論争が渦巻いています。フランス菓子の頂点に君臨するのは、絶大な人気を誇るパリのシェフ、ピエール・エルメのマカロンです。彼のマカロンの特徴は、わずかに丸みを帯びたサクっと軽い食感のアーモンドメレンゲと、その間にたっぷり挟まれた風味豊かなフィリング。ブティックには常時18種類ものフレーバーが並びます。一方、イタリアやフランスの一部の地域、例えばサン=テミリオンやサン=ジャン=ド=リュズなどでは、マカロンと言えばシンプルなアーモンド ビスキュイ(ビスケット)を指し、米国のマカロンにはココナッツが入っています。

様々な解釈があるこのマカロンというお菓子は、その起源もあいまいです。シンプルなアーモンド ビスキュイ タイプのものでさえ、起源に関する説が多数存在します。『ラルース料理大辞典』には、791年にフランスのコルムリー修道院で初めて考案されたと書かれています。それに負けじとイタリアの人々は、8世紀初頭にベネチアで考案されたと反論しています。発祥に諸説あるマカロンですが、今回私たちが注目するのは、ピエール・エルメが提供するサンドウィッチ・スタイルのマカロンです。アーモンドを使っていること以外は、同じ「マカロン」という名をもつ歴史あるビスキュイとは、本質的に何の共通点もありません。そうしたシンプルなビスキュイやその歴史はさておき、サンドウィッチ・スタイルのマカロンの歴史は驚きに満ちています。

今日ではパリがマカロンの中心地となっているため、現代のサンドウィッチ・スタイルも当然パリ発祥のものと思われがちですが、ピエール・エルメは、マカロンを生み出したのはチューリッヒのパラデ広場にある有名なパティスリー「シュプルングリー(Sprüngli)」であると主張しています。このお店で働いていたルクセンブルク出身の若い見習いシェフ、カミーユ・シュトゥーダーが、2枚のアーモンドメレンゲ ビスキュイとバタークリームのフィリングを組み合わせるというアイデアを思いつきまし
た。そんな彼の功績を讃え、シュプルングリーはこのお 菓 子 を「 ルクセンブルゲルリ(Luxemburgerli)」と名付け、今もその名前を使用しています。

バタークリーム フィリングを2枚のビスキュイで挟むというシュトゥーダーとシュプルングリーのひらめきは、このジャンルを大きく進化させました。それ以前に、フランスのシャルトル出身で後にパリのラデュレで働いていたシェフ・ジェルべがアーモンドメレンゲ ビスキュイを2枚合わせたマカロンを考案していましたが、フィリングは入っていませんでした。フィリングによって、これまでになかった深みのあるフレーバーがもたらされたことで、上下2枚のアーモンドメレンゲにフィリングを挟むというのが今日のマカロンの原型となったのです。

フィリングというアイデアでマカロンというお菓子を新たな高みへと引き上げたのがスイスのルクセンブルゲルリであるなら、それをさらに昇華させ、洗練させたのがピエール・エルメの優れた洞察力でした。フレーバーを発展させる上では、メレンゲ ビスキュイよりもフィリングのほうがはるかに重要であることを彼はよく理解していました。そこで彼は「フィリングの量を2倍にする」「フィリング自体の風味を強くする」「かつてないほど味のバリエーションを増やす」という3つのアプローチでフィリングを大きく改善しました。彼のブティックに常時18種類のマカロンが並んでいるという点に着目するだけでは、その全貌は見えてきません。お店に登場するマカロンは、1年を通して100種類にも及ぶのです。

ピエール・エルメ

ピエール・エルメ

エルメの哲学を雄弁に物語っているのが、バニラ風味のマカロン「アンフィニマン ヴァニーユ(Infiniment Vanille)」です。実際に味わったことのない人は、バニラ味なんて標準的でありきたりだと思うかもしれません。たしかにバニラは、マカロンが初めて登場した当時からあるフレーバーのひとつです。しかし、エルメの「アンフィニマン ヴァニーユ」はひときわ印象深い味わいで、バニラという一見ありふれたフレーバーを想像を超える高みへと引き上げています。「アンフィニマン(無限)」は、エルメがこの上なく深い味わい、究極のフレーバーを表現するときに使う言葉です。その域に達するには、バニラ1種類だけではどうしても限界があるということに気づいたエルメは、マダガスカル産、タヒチ産、メキシコ産という産地の異なる3種類のバニラをブレンドすることにしました。様々な種類を組み合わせることで、どのバニラでも単独では出せない複雑で凝縮された風味を生み出しています。3種類のバニラそれぞれがもつ固有の香りを活かした独自のブレンドが、エルメのシグネチャーとなっています。また、フィリングをたっぷり入れるという彼のアプローチによってそのパワーがいっそう強調されています。ほんの少し口に入れただけでマカロンがその瞬間を支配し、爆発的に広がるフレーバーだけに意識が集中してしまい、そのこと以外考えられなくなることなんて、そうそうありません。これは、他のことに気を取られながら気軽に食べるようなお菓子ではありません。ひとつのイベントなのです。

原材料を研究し、数種類のバニラを独自に組み合わせるという答えを導き出したエルメは、チョコレートマカロンにおいても同じような研究を行い、ブルゴーニュ産高級ワインのような、チョコレートの「クリュ」というコンセプトを取り入れています。クリュとは、単一の生産者が所有する特定の農園を原産地とするチョコレートを指す言葉です。世の中にあるチョコレートのほとんどが、様々な産地のカカオをブレンドして作られていますが、1種類の「クリュ」のみを用いるエルメのレシピでは、そのクリュならではのニュアンスが際立っています。こうして誕生したのが、アンフィニマン ショコラ ポルセラーナ(ベネズエラのペドレガル地区産)とアンフィニマン ショコラ チュア(ベネズエラ産)です。しかし、ひとつのクリュに頼ることにはリスクも伴います。天候です。特定地域の生育条件が好ましくない年は、様々な産地をブレンドする場合のように、別の産地のチョコレートを代わりに使うということができません。興味深いのは、ブレンドすることによってパワーと個性を引き出すバニラのアプローチとは対照的であるという点です。バニラの場合とは反対に、これらのユニークなチョコレートではクリュをひとつに絞ることで、そのクリュがもつニュアンスを最大限に活かしているのです。

ピエール・エルメのレシピ

アンフィニマン ヴァニーユ マカロン

マカロン約72個分(シェル約144個分)

構成要素

バニラマカロン ビスキュイ
バニラ ガナッシュ

バニラ ガナッシュ

生クリーム 400mL(乳脂肪分30%)
マダガスカル産バニラビーンズ 2本
タヒチ産バニラビーンズ 2本
メキシコ産バニラビーンズ 2本
ホワイトチョコレート 440g (ヴァローナ
イボワール、カカオ分 35%)

バニラマカロン ビスキュイ

1)
アーモンドパウダー 300g
粉糖 300g
液化させた*卵白 110g
バニラビーンズ 3本
2)
カスターシュガー(粒の細かい
グラニュー糖)300g
ミネラルウォーター 75mL
液化させた*卵白 110g

準備・調理方法
バニラビーンズ3本(マダガスカル産、タヒチ産、メキシコ産各1本ずつ)をナイフで縦にカットし、中の種をこそぎ取ります。バニラビーンズを生クリームに加え、煮立たせます。火から下ろし、蓋をして香りが出るまで30分蒸らします。細かく砕いたチョコレートをボールに入れ、湯煎して溶かします。バニラビーンズの鞘を1本ずつクリームを拭き取りながら取り出し、溶かしたチョコレートにクリームを3回に分けて入れ、混ぜていきます。ハンドブレンダーを使って、ガナッシュを撹拌し、キャセロール皿に流し入れ、上からラップをかけます。冷蔵庫に入れて、約12時間冷やします。

粉糖とアーモンドパウダーをふるいにかけます。残った3本のバニラビーンズをナイフでカットし、種をこそぎ取り、粉糖とアーモンドパウダーを混ぜたものの中に加えます。そこに最初の卵白110gを加えます。ここではまだ混ぜません。水と砂糖を火にかけ118°Cに沸騰させます。シロップが115°Cに達したと同時に残りの卵白を泡立て始めます。118°Cに熱した砂糖を、角が立つまで泡立てた卵白に注ぎます。混ぜながら50°Cまで冷まし、粉糖とアーモンドパウダーと卵白を入れたボウルに加え、底から生地を持ち上げるようにしながら全体を混ぜていきます。絞り袋(No.11)に生地を入れます。注:* 「液化させた」卵白とは、ボウルに入れて、2、3日室温で保存したものを指します。

ベーキングペーパーの上にベーキングシートを重ね、2cmの間隔をあけて、直径3.5cmの丸型になるように生地を絞り出していきます。ティータオルを敷いた作業台の上にオーブンの天板を軽く落とし空気を抜きます。少なくとも30分間置いて、生地を休ませます。オーブンを180°C(GAS MARK 6)に予熱します。生地を並べた天板をオーブンに入れ、途中で2回ほどオーブンのドアをすばやく開閉して温度を下げながら、12分間焼きます。焼き上がったマカロンシェルを作業台の上に移し、そのまま置いて冷まします。

マカロンの調理方法
絞り袋(No.11)にガナッシュを入れます。冷ましたマカロンシェルのうち半分を裏返し、ベーキングペーパーまたはクーリングラックの上に並べます。その上にガナッシュをたっぷり絞ります。残りのマカロンシェルをのせていき、上から軽く抑えます。上下のマカロンシェルの大きさが合うように、サイズを見ながらのせていきます。できあがったマカロンを冷蔵庫に入れ、24時間冷やします。食べる2時間前に冷蔵庫から取り出します。

PIERRE HERMÉ ©

ピエール・ エルメ

アンフィニマン ヴァニーユにフレーバーを最大限に引き出すことへのエルメの献身が表れているなら、よりエキゾチックなフレーバーにはどれほどのこだわりが詰まっているか、想像してみてください。ほんの一部ですが、例えばこんなフレーバーがあります。ヴェヌス(Vénus: マルメロとローズ)、ポム ヴェルト エ アンジェリーク ド モンターニュ(Pomme verte et Angélique de Montagne:青りんごとラベージ)、ユイル ドリーヴ ア ラ マンダリン(Huile d’Olive à la Mandarine:オリーブオイルとマンダリンオレンジ)、アンフィニマン カフェ オ カフェ ベール エ オ カフェ(Infiniment Café au Café vert et au Café:グリーンコーヒーとレユニオン島のブラックコーヒー)、イスパハン (Ispahan:ライチ、ローズ、ラズベリー)、シトロン ベール エ バジリク(Citron vert et Basilic:ライムとバジル)。

フィリングに力を入れていると言っても、ビスキュイを軽視しているわけでは決してありません。実際はその逆で、彼はパティシエとしてのキャリアの大半を費やして、ビスキュイのニュアンスとディテールに取り組んできました。コルマール(アルザス地方)にあった父親のパティスリーで、様々なプティフールやヘーゼルナッツのペストリーを作り、盤石なバックグラウンドを築いたエルメは、パリの伝説の名店「ガストン・ルノートル」で修行を始めました。当時、ルノートルの看板メニューとなっていたお菓子のひとつが、アーモンドペースト、グラニュー糖、卵白を材料とするマカロン ビスキュイでした。現在のマカロンと比べると、ルノートルのマカロンはかなりシンプルなものですが、特に細部に関して高度なテクニックが要求されるため、エルメが厨房に入ったばかりの頃は、ペストリーシェフのチームの中でマカロンを作ることが許されていたのはたった2名だったといいます。最終的に、自ら実力を証明したエルメは昇格し、小さなチームの一員となりました。

ピエール・ エルメ
ピエール・ エルメ
ピエール・ エルメ
ピエール・ エルメ
たっぷり入ったフィリングは、エルメのマカロンならではの特徴です。

たっぷり入ったフィリングは、エルメのマカロンならではの特徴です。

エルメは、20年以上の歳月をかけてビスキュイのレシピを細部に至るまで進化させてきました。

ルノートルでの修行の後、エルメはパリで2番目のランドマーク的存在であった「フォション」に移り、エグゼクティブ・ペストリーシェフに就任します。ここで彼は、アーモンドパウダー、グラニュー糖、泡立てた卵白の使用に関して、まったく別のアプローチに出会うことになります。フォションにいる間にエルメのレシピは変化し、グラニュー糖の代わりにシュガーシロップを使い、イタリアンメレンゲと呼ばれるものに近い生地を用いるようになりました。同時に、それまで4種類しかなかったフレーバーの種類を大幅に増やし、ローズ、レモン、ピスタチオ、塩バターキャラメルなどを追加。彼の新しいレシピは大成功を収め、パリのファッション誌『マリ・クレール』により、フォションは「パリで最も美味しいマカロンの名店」の称号を与えられました。

独立する前に彼が最後に勤めたのが、パリで 3番目に有名なパティスリー「ラデュレ」でした。ラデュレにいた当時、エルメはマカロン ビスキュイの作り方をさらに洗練させただけでなく、それまでパティシエたちが口頭で伝えてきたレシピとテクニックを正式に文書化することにも取り組みました。

エルメは、ルノートル、フォション、ラデュレでの20年間のみならず、独立してからも、ビスキュイのレシピを細部に至るまで進化させ続けています。グラニュー糖からシュガーシロップへの変更、アーモンドペーストからアーモンドパウダーへの変更、メレンゲ生地に空気を入れすぎないようにする繊細な技術、ベーキングペーパーを2枚重ねることで焼成中に十分な湿度を確保する方法。さらに、アーモンド自体も他とは違います。特定の種類のアーモンド(バレンシア産)にこだわっているだけでなく、エルメは格別に優れたアーモンドを提供するサプライヤー1社に絞って取引しています。

ピエール・ エルメ
ピエール・ エルメ

彼のブティックのガラスケースの中には、マカロンだけでなく、焼き菓子、ヴィエノワズリー、チョコレートなどもたくさん並んでいます。

エルメにとって、マカロンは無限の創造性への窓を開いてくれる存在です。香水、原料、国、出会いなど新たな発見からインスピレーションを得て、毎シーズン新しいマカロンのコレクションを考案します。フェティッシュ、ヴルーテ、 レザドラーブル、ジャルダンなどのシリーズには、食材とテイストの新たな領域が表現されています。彼の言葉を借りると、これらのマカロンは「数グラムの幸せ」をもたらし、フレーバーとテクスチャーの新しい組み合わせで私たちを驚かせてくれます。例えば、彼のユニークな作品のひとつに2色のマカロン ビスキュイがあります。ピスタチオとダークチェリーを組み合わせたモザイク画を思わせるビスキュイです。

当然ここで思い浮かぶのは、風味豊かなタイプのマカロンはどうなのだろう?という疑問です。彼のマカロンには、風味豊かな要素をもつものもありますが、やはり主役となるのは甘さであり、風味豊かなタイプでも甘いビスキュイが用いられています。彼の風味豊かなタイプのマカロンには、ユイル ド ノワゼット エ アスペルジュ ベルト(Huile de Noisette et Asperge Verte:ヘーゼルナッツオイルとグリーンアスパラ)、オーシトロン キャビア(Au Citron Caviar:フィンガーライム)、メティセ (Métissé:キャロット、オレンジ、シナモン)などがあります。なかでも、贅の極みと言えるのが、2002年に彼のコレクション「ブラン クジュマン(Blanc Cousu Main:手縫いの白の意)」の発表を記念して作られたインスピレーションあふれるマカロン「アンフィニマン トリュフブランシュ(Infiniment Truffe Blanche)」です。このマカロンでは、イタリアのピエモンテ州を代表する2つの食材、白トリュフとヘーゼルナッツを組み合わせています。

マカロンの巨匠と呼ばれるピエール・エルメですが、彼がパティシエであるということも忘れてはなりません。彼のブティックのガラスケースの中には、焼き菓子、ヴィエノワズリー、チョコレートなどもたくさん並んでいます。彼のマカロンの特徴である魅惑的で強烈なフレーバーへのこだわりは、彼の他のお菓子にも見られます。バニラタルトでは、マカロンと同じ3種類のバニラを使っています。また、ガトー フェティッシュ イスパハン(Gâteau Fetish Ispahan)はラズベリーとバラのマリアージュが光る一品です。

今日、ピエール・エルメの名声はパリだけでなく世界中に響き渡っており、彼のブティックは現在、日本、ロンドン、ドーハ、ジッダ、バンコク、香港、さらには日本の主要都市の5つ星ホテルやモロッコの有名ホテル「ラ マムーニア」など世界各地に展開しています。

パリ7区のボーパッサージュのカフェにいるピエール・エルメ

パリ7区のボーパッサージュのカフェにいるピエール・エルメ

ピエール・ エルメ

Chapter 10

ウストー・ド・ ボーマニエール

ミシュランの3つ星を授けられ、80年近い 歴史をもつウストー·ド·ボーマニエールは、 プロバンス地方屈指の名店です。

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ウストー・ド・ ボーマニエール
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