Chapter 5
四分の一時ごとに4音のメロディを鳴らすことに伴う、 時計製造における挑戦。
無言の敬意をもって、グラスに近づき、傾ける。光にかざし、縁を確か める。回し、深く香りを嗅ぎ、一口、舌の上で空気を含ませる。思考の 中で、もう一度香りを嗅ぎ、一口。空気を含ませ、長い黙想の上飲み込 む。そして評定。深いガーネットの色調、煉瓦色はありません。開いた 爆発的な香りは異国のスパイス(クローブ、シナモン、わずかな胡椒) を醸し出しています。口中は厚みがあり、鮮烈で焦点の定まった赤と 黒のチェリーが、トーストしたヴァニラをまとって弾けています。甘く長 い余韻。上質なワインのテイスターが、即座に使える形容詞の籠を持 たずにいられるでしょうか?
チャイミングウォッチの評価においても、同種の儀式があります。もちろ ん、嗅ぐことも、口に含むことも、空気を含ませることも、飲み込むことも ない。所作や手法に同じものがないとしても、敬意と集中を要すること においては同じです。確かに、名高いミニッツリピーターの響きを体験 し、「味わう」と言った方が適切かもしれないが、それを味わえる愛好家 は多くはありません。しかしながら、上質なブルゴーニュについて語るワ インの専門家と同じ詩情で、クラシックな2音のミニッツリピーターの音 を語る鑑定家たちがいます。彼らの言葉には、「clarity(鮮明さ)」 「brilliance(輝き)」「resonance(共鳴)」「richness(豊かさ)」 「persistence(持続性)」といった語が散りばめられています。
2音の「ding(ディン)」「dong(ドン)」(高い音のdingと、より低い音の dong)のソヌリからメロディへ移ると、すべてが変わります。クラシックな 2音ソヌリでは、低音が時、高音が分を鳴らし、高音/低音の組み合わ せがクォーターを告げていますが、周波数(音程)には、各音それ自体 についても、クォーターで近接して鳴る際の関係についても、かなりの 自由度があります。4音のメロディを演奏することは、まったく別の世界 です。第一に、あらゆる楽譜や旋律がそうであるように、実際の音は、 その作曲に求められる通りに正確に当たらなければならなりません。 ウェストミンスターのメロディは「Mi(ミ), Sol(ソ), Fa(ファ), Si(シ)」 で始まります。音楽家が各音を正確な音程で歌い、演奏するのと同様 に、メロディを鳴らすソヌリも、すべての音を同じように正確に鳴らさね ばならなりません。コンサートマスターがオーケストラをまとめる、別の 言い方をすれば「調律する」ために、ある音を鳴らす様子を想像しても 不自然ではありません。通常それは「A」であり、まずは音程が安定した 管楽器、たいていはオーボエが鳴らします。これに対し、標準的な2音リ ピーターでは、音程のみならずオクターブに至るまで大きな柔軟性があ ります。各音の音程が正しいだけでは足りず、「musicality(音楽性)」 が重要になります。たとえばヴァイオリニストがひとつの音を出すとき、 その音は実際には複数の周波数で構成されます。主となる周波数と、 それを取り巻く倍音であり、これらは音に豊かさを与えるために不可欠 なのです。これらの倍音がなければ、音は硬く空虚に聞こえます。 これは4音のメロディを鳴らすソヌリにも当てはまります。4つの音は正 確に調律されて鳴らされねばならず、豊かな音楽性のためには、それを 包む倍音の存在が不可欠となります。テンポもまた、メロディを演奏す る際にさらなる要件を課します。リピーターの音と音の間の休止は、 十分に一定である限りある程度の自由度があるのに対し、メロディはは るかに厳密です。とりわけ、鳴動がより長く、音数も多いからです。 いったんテンポが定まると、耳は敏感になり、その速度が逸脱なく続く ことを期待するように条件づけられます。
ゴングの調律後の周波数応答例。クォーターでは、標準的な2音ソヌリとは異なり、 4音メロディを演奏するために、各音が正しい周波数で正確に鳴ることが求められ、 それぞれがレーザーで検証されます。
時計師によるゴングの微細なマイ クロ調整は、周波数を完璧に鳴らすた めに必要です。
音符
ブランパンのグランド ダブル ソヌリは、2つの異なるメロディ「ウェスト ミンスター」と「ブランパン」を初めて備えた腕時計であり、プッシャーを 押すだけで、オーナーが選択し相互に切り替えることができます。2つの メロディは独自のものですが、いずれも同じ音で構成され、同じテンポ で演奏されます。ムーブメント設計者にとっての課題は、正しい音程で 音を鳴らし、望まれる一定のテンポでそれらを奏でるようムーブメント を設計することでした。コンサートマスターは「M(i ミ)」を音程(音とオ クターブ)として捉えるかもしれませんが、ムーブメント設計者は、コン サートマスターのヴァイオリンが合わせる安定した音を鳴らすオーボエ 奏者に少し似ていなければなりません。オーボエが実際に鳴らしてい るのは周波数であり、ブランパンのムーブメント設計者がグランド ダブ ル ソヌリの4つの音それぞれに対して狙ったのは、まさにその正確な周 波数でした。選ばれた周波数は、Mi Sol Fa S(i ミソファシ)という4つ の音に合致するだけでなく、もっとも聞き取りやすい周波数帯、すなわ ち高すぎず低すぎない範囲に収まらなければなりませんでした。
次なる課題は、それらの音を正しく、精密に生み出すことへ移りました。 このプロセスを理解するために、少し音響工学の話をしましょう。機械 式ソヌリは、振動によって音、いまの言い方なら周波数を生み出します。 現代の機械式チャイミングウォッチの基本設計はすべて、アブラアン= ルイ・ブレゲが生み出した、音板を小さなハンマーで打ち、可聴の振動 を発生させるという画期的な発明に由来しています。ブランパンの設計 者が直面したのは、4つの音それぞれを形成するために完璧に振動す る、ハンマーと音板の適切な組み合わせを開発することでした。正解を 与えてくれるテキストも、表も、定式もありません。代わって日常となった のは試行錯誤です。音板の素材は何にするのか。鋼か。クリスタルか。 サ フ ァ イ ア か 。ゴ ー ル ド か 。断 面 形 状 は 。円 形 か 。角 形 か 。均 一 か 、 それとも可変プロファイルか。長さは。ゴングのどの位置をハンマーが 打つべきか。
自身の名を冠するグランド ダブル ソヌリの組み立て に12か月を費やした後、最後の瞬間。時計師が音を 確認する。
鳴動テンポの精度は不可欠であ る。その目標を達成するための重要な構成 要素が、磁気レギュレーターである。
さらに別の要素も作用しました。まず、金属製のハンマーが音鳴りリン グを打つと、複数の周波数の振動が発生します。望ましい音程の目標 周波数はもちろんのこと、それに調和し音に豊かさを与える他の周波数(「partials」と呼ばれる)も生じます。必然的に、可聴域外の周波数も いくつか含まれることになります。
早い段階で、ゴング素材としてゴールドが選ばれました。音板と、それを 収めるケースが同じ組成を共有すると、伝達が高まります。その後に続 いたのは、異なるプロファイルと長さを試す無数の実験でした。これら の試験の結果、各4音を生み出すために最適化された、矩形断面のプ ロファイル、厚み、長さが得られました。複雑さをさらに増したのは、ゴン グの長さ方向に沿って断面プロファイルを変化させることが、響きの鍵 になると設計者が見出したことです。プロファイル形状は、倍音を適切 に配置した豊かな音楽的響きを得るうえで重要な役割を果たします。 こ の ゴ ン グ の 可 変 プ ロ フ ァ イ ル は 、ブ ラ ン パ ン の 特 許 の 対 象 で す 。 各音で適切な周波数に当てるため、ゴングの長さにはミクロン単位の 微細な調整が求められます。時計師が調律でゴングを短くしていくにつ れ、主音の周波数と倍音の周波数はともに上昇します。各音が正確に 鳴っていることを検証するために、先のオーケストラの調律を行うコン サートマスターを思い浮かべてください。ブランパンの時計師はレーザ ーを用いて周波数を正確に測定します。許容差は極わずかで、調律は 各音について5 HZ以内で行われています。ほら、これがオーボエと第 一ヴァイオリン以外の手段によるグランド・ソヌリの調律なのです。
さらに多くの要素が作用しました。音量が聞き取りにくいのならば、 誰がソヌリを評価するでしょうか。音板が生み出す音色が振動であるよ うに、ケースや風防から伝わる音もまた振動であり、これらの要素が振 動して、ゴングの振動を空気中へ音として放つのです。音量最大化の 探求は、特許取得の発明へ導きました。風防に堅固に取り付けられ、 ベゼルの下に収められるレッドゴールドのメンブレン(音響膜)です。 ベゼルには、振動できる一定の自由度が与えられました。メンブレンの 機能は、ムーブメントのゴングから振動を受け取り、ある種のスピーカ ーのように働いて、振動する音板から風防とベゼルへ音を増幅し拡散 させることにあります。通常、時計の風防とベゼルは低周波を減衰させ ます。その結果、高周波が支配的となり、音にある程度の硬さが生じま す。特許メンブレンはこの問題に対処し、望まれる低域の音を強調する と同時に、望まれない高域をフィルタリングします。
テンポも音符そのものと同じく、完璧を求める執拗な探求の対象となり ました。メロディを正しく奏でるためには音符が正確に鳴らされねばな らないのと同様に、音符間の時間間隔も厳密に保たれねばなりませ ん。標準的なミニッツリピーターは、ある程度「レギュレーター」または「 ガバナー」と呼ばれる装置を用いて、一定のテンポを達成しようと努め ました。レギュレーターの機能は、ソヌリ(打鐘機構)のハンマーを作動 させるムーブメント部品のペースを調節・制御することにあります。 リピーター機構を駆動する香箱のゼンマイが、その回転速度が速すぎ る傾向にある場合、レギュレーターは打鐘ハンマーを打つタイミングを 遅らせます。逆に、ゼンマイの回転速度が遅すぎる場合、レギュレータ ーは打鐘ハンマーを打つタイミングを早めます。巻き上げ開始時にトル クが最大となるため、レギュレーターが作動して速度を落とします。 逆の場合も同様です。巻き上げが進みバレルが巻き戻されるにつれ、 そのトルクは低下します。この現象が発生すると、レギュレーターはシス テムへの抵抗を減らし、速度を維持できるように働きます。 時計業界で は、レギュレーターの設計には基本的に二つの形態が存在してきました。 一つは「アンカー」または「リコイル」構造で、小さなバネ仕掛けのカチカ チ音が回転する深い歯車の歯に噛み合い、離れることで、時計の脱進 機のように動作して速度を設定する。もう一つは「セントリフューガル (遠心力)」方式で、回転する部品がハウジングに押し付けられ、 回転が速すぎると摩擦が増加し、回転が遅くなると摩擦が減少する。 これら2つの設計はいずれも、必然的に音を発生させ、ハンマーやゴン グが生み出す音と競合します。一般的にアンカー式は、遠心式システム よりも大きなノイズを生みます。
鳴動テンポの許容差は5/100秒であり、音響録音によって 測定され確認されます。
ブランパンは、特許取得の磁気レギュレーターをソネリ機構に組み込 むことで、既存設計を凌駕する最先端の進歩を実現しました。この革 新的構造は、回転要素に作用する小さな磁石を利用します。回転速度 が上昇し始めると、遠心力が要素を外側へ引き出し、そこで磁気抵抗 が増大する領域に到達します。回転速度が減速し始めると逆の現象が 発生し、要素はスプリングによって内側へ引き込まれ、磁気抵抗が低い 領域に入ります。これにより、香箱の巻き戻りによるトルク変化にもか かわらず、一定の速度を維持します。その利点は顕著です。磁気レギュ レーターは完全に無音です。さらに、その調速性能は既存のいかなる 手法よりも精密です。最後に、標準構造に比べて最大50%のエネルギ ー消費削減を実現しています。
調速システムがいかに重要であるとはいえ、旋律を奏でるにはさらに高 度なテンポ制御が求められます。これはブランパンのグランド ダブル ソ ヌリでは特に顕著です。正時には、すべての鳴動モード(grande(グランド)、 petite(プチ)、répétition(レペティション))で毎時4つのクォーターを 鳴らすからです。他のすべての腕時計用ソヌリ機構は、正時にはクォー ターをまったく鳴らしません。最も長いクォーターの最長鳴動は45分 時に発生し、これは3つのクォーターに相当します。こうしてブランパン は、15分刻みの演奏時間を最長に設定することで、従来の機構とは一 線を画しているのです。
15分ごと(正時、:15、:30、:45)に鳴るメロディ演奏の中核部品は、 きわめて論理的な名称「pièce des quarts」(クォーターアワー要素) を持ちます。ここには歯が設けられ、メロディが求める音の順序で、連続 してハンマーを作動させます。磁気レギュレーターがpièce des quarts の動きを制御しているとはいえ、各音が正確に正しい瞬間に鳴るため には、組み立てを行う時計師が、pièce des quartsの歯車と、ハンマー に取り付けられた部品の先端(levéeと呼ばれる)の双方に、きわめて 微細な調整を施さねばならなりません。pièceの歯車がlevéeの先端を 通過すると、levéeが回転し、取り付けられたハンマーがゴングを打ち ます。この打撃は2つの要素が接する瞬間に生じ、その瞬間のタイミン グがテンポの鍵となります。したがって、pièceの回転速度においてアン カー式や遠心式より高い精度をもつレギュレーターが必要であること に加え、ブランパンは、テンポにも影響する歯車と先端の位置および形 状の許容差にも注力しました。人間の耳はテンポに驚くほど敏感で、 10分の1秒単位にまでリズムの違いを聞き分けることができます1.。 特に正時を告げる長音ではその感度がさらに高まります。ブランパンの 基準は、500分の1秒という許容誤差です。これは、時計師がミクロン 単位で歯車と先端に微調整を施すことを必要とします。その結果、完全 なリズムのメロディが生まれます。
これらはいずれも、最高級のミニッツリピーターを生み出すために必要な 並外れた職人技を、わずかでも貶めるものではありません。むしろ、メロデ ィを演奏することが桁違いに大きな課題であることを示すものです。
1 人間の耳がテンポの微小な変化を識別できることを示す説得力ある例として、スティーヴ・ライヒの「Clapping Music」がある。4人の演奏者が、手拍子の位 相をマイクロ秒のオーダーで変化させることで、興味深い音響を生み出す。
時計師がソヌリのタイミングを微調整するた め、pièce des quartsの歯車にミクロン単位の微細 な調整を施す。